聖書は神様の生きていることばです。コリント教会のみなさんに書いているのは使徒パウロです。でも、この手紙は神様の御霊によって書かれた生きている神様のことばです。この手紙には神様の思いがあふれています。神様は僕ら人間を愛し喜んでおられます。…ですが神様を裏切り神様から離れていくことは神様の悲しみです。神様は離れていく人間を放っておきません。悲しみながら、悔い改めるようにと語りかけておられます。
パウロはコリント教会の中で罪を続ける人たちに泣きながら手紙を書きました。それはその人を攻撃するためではなく、彼が回復してほしいという愛です。
4 私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。
神様も僕らが罪を続ける時には泣きながら語りかけてくださいます。僕らは本当は神様にとって喜びの子です。だのに神様を悲しませ続ける現実があります。聖書は僕らへの神様からの愛の語りかけです。それは僕らが悔い改め、神様を裏切るのをやめ、神様に戻ってほしい、という神様の愛の語りかけです。パウロは「悔い改めなさい」という手紙を書きました。それは、彼らが本来の喜びの存在に戻ってほしいからです。
3 あのような手紙を書いたのは、私が行くときには、私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくないからでした。それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからです。
神様の悲しみは教会の悲しみです。そして神様の喜びは教会の喜びです。
5 もしある人が悲しみのもとになったとすれば、その人は、私を悲しませたというよりも、ある程度――というのは言い過ぎにならないためですが、――あなたがた全部を悲しませたのです。
パウロは前の手紙でかなり厳しく罪を指摘し、罪をやめなさい、と命令しています。そして、教会の人たちは言われた通りに行い、人々は罪を指摘し、その人は制裁を受けたようです。聖書は罪を指摘しますが、それはその人を攻撃するためではなく救うためです。その人が愛され喜ばれている本来の姿に戻るためです。パウロは教会の人たちに「罪を指摘され、悲しんだ人たちを愛しなさい、慰めなさい」と言います。
6 その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、
7 あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。
8 そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます。
聖書が罪を何回も指摘する理由は攻撃のためではなく、赦しのためです。罪人が潰されるのではなく、赦されて回復するためです。罪を認めてやめる人は赦されます。これが、聖書のメッセージの中心です。
10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
逆に、サタンは人を潰そうとします。罪に誘いますが、罪を犯した途端に「お前が悪い、お前は赦されない、お前は裁かれる。お前は呪われる、お前は価値がない…」などと永遠に告発し続けます。これは、聖書のメッセージとは真逆のサタンのメッセージです。
11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
罪人パウロが赦されました。彼は言います。
(1テモテ 1:15-16)
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。
今、僕らの周りにも、教会の中にも外にも「自分のようなものは、愛されるはずがない」「自分は捨てられるに違いない」と信じてしまってる人が大勢います。その人に、そうではなくて、あなたは愛されている、あなたは今も愛されている、ということを確信できるように「その人を愛しなさい」とパウロは勧めています。
イエス様の十字架による赦しは完璧です。今日も神様は泣きながら罪人がもう一度喜びの子どもに戻るようにと語りかけてくださっています。悔い改めた人が愛され回復することを、神様は誰よりも願っておられます。サタンの誘惑は「ゆるすな、恨め、憎め、さばけ」です。罪は悲しみましょう。そして、謝ってやめましょう。悔い改めたことは赦されます。そして赦された罪人として、仲間を赦しましょう。人間同士、罪人同士です。上下はありません。僕らはイエス様の十字架の犠牲によって赦された罪人です。感謝しましょう。赦された罪人として、仲間を赦しましょう。神様は僕らを喜び愛しておられます。
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