人生の幸せは自動的に生まれるのではありません。祝福してくださる神様のことばを聞き従うことによって与えられます。神様は僕らの祝福を願っておられます。なので、親として一番価値のあることは子どもに聖書のことばを教えることです。神様のことばは全自動ではありません。親を通して子どもは神様を知ります。親の責任は重大です。そして、子どもの役目は神様のことばをいつも身につける生活を身につけていくことです。
ユダヤ人は赤ちゃんの時から聖書のことばを聞いているのでみんな神様のことばを知っています。が、日本では知らない人が殆どです。日本のような国では、先に神様のことばを知り、教える人は霊的な親です。その人は親のように新しい人たちに聖書を教えるようにと言います。若くても、です。
(新約聖書 1テモテ 4:12-13)
年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。
聖書のことばを教える人は霊的な親です。そして、新しく信じた人は子どもです。神様のことばは、子どもたちを危険や誘惑や災いから守ります。そして聞いた聖書のことばを心に留める人は状況を霊的に判断する力が与えられ、守られ、祝福されます。
20 わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。
21 それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。
22 これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける。
23 命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ。
聖書は、子どもたちを破滅から守ります。特に人生が破滅的なのは遊女や人妻と関係を持つことです。聖書のことばは破滅から身を守ります。
24 これはあなたを悪い女から守り、見知らぬ女のなめらかな舌から守る。
25 彼女の美しさを心に慕うな。そのまぶたに捕えられるな。
26 遊女はひとかたまりのパンで買えるが、人妻は尊いいのちをあさるからだ。
他人の妻(夫)と関係をもつ人は悲惨です。人生を失い、財産を失い、相手の夫(妻)からの容赦のない復讐を受け続けます。淫行する人は自分の服の中に火を入れるようなものです。
27 人は火をふところにかき込んで、その着物が焼けないだろうか。
28 また人が、熱い火を踏んで、その足が焼けないだろうか。
29 隣の人の妻と姦通する者は、これと同じこと、その女に触れた者はだれでも罰を免れない。(…中略…)
32 女と姦通する者は思慮にかけている。これを行なう者は自分自身を滅ぼす。
33 彼は傷と恥辱とを受けて、そのそしりを消し去ることができない。
34 嫉妬が、その夫を激しく憤らせて、夫が復讐するとき、彼を容赦しないからだ。
35 彼はどんな償い物も受けつけず、多くの贈り物をしても、彼は和らがない。
このことばを軽く見、あなどり、妻(夫)以外の人と寝る人の人生は悲惨だと聖書は言います。
(箴言 5:11-14)
そして、あなたの終わりに、あなたの肉とからだが滅びるとき、あなたは嘆くだろう。そのとき、あなたは言おう。「ああ、私は訓戒を憎み、私の心は叱責を侮った。私は私の教師の声に聞き従わず、私を教える者に耳を傾けなかった。私は、集会、会衆のただ中で、ほとんど最悪の状態であった。」と。
罪の結果は悲惨です。ところが、過去がどんなに罪だらけでもやり直せるとイエス様はおっしゃいます。ある時、淫らな行為の現行犯で捕まった女性がイエス様の前に連れ出されました。
(ヨハネ 8:4-11)
イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」(…中略…)彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(…中略…)
彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
どんなに過去がヒドくてもイエス様のことばは「あなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」です。神様のことばは赦しの宣言です。そして、神様のことばは祝福への道です。アリのように怠けずに聞き従いましょう。神様のことばはいのちそのものです。そして、祝福への道は与えられた自分の妻を大事にすることです。
(箴言 5:18-19)
あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。
愛らしい雌鹿、いとしいかもしかよ。その乳房がいつもあなたを酔わせ、いつも彼女の愛に夢中になれ。
夫婦の幸せも、人生の幸せも、自動的に生まれることはありません。神様のことばに従い、相手を愛し、尊敬するには方向転換の決断と行動が必要です。自分の責任から逃れて幸せになれる人はいません。それが、「わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。」(20)「あなたの泉(伴侶)を祝福されたものとせよ」という命令です(5:18)。しかも、それはゴロゴロしていてできることではありません。「なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか。」(9)と主は言われます。妻(夫)を愛し喜ぶこと、聖書のことばをいつも身につけることは、アリのように地道な勤勉さも必要です。(6)毎日みことばを聞きましょう。そして新しく、しかもいのちと光に向かう選択をし続けましょう。
僕らが向かうのは、闇でなく光、呪いではなく祝福、死ではなくいのちです。過去は関係ないです。僕らは希望に向かっています!
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