聖書が教える「知恵」とは、生活の知恵とかの意味ではありません。神様を恐れ、神様のことばを聞くことが「知恵」です。
(箴言 9:10)
主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。
イエス様は「わたしが…真理であり」とおっしゃいました。(ヨハネ14.6)イエス様を求めることは真理の知恵を手に入れることです。逆に「悪」とは、自分の知識や判断だけで考えようとすることです。悪魔はいつも「あなたの目は開かれている、あなたは善悪を知っている」と誘惑し神様から離そうとします。(創世記3章)神様のことばをぬきにした知識や判断は高ぶりです。しかも、知恵である神様のことばは自動的に伝わるのではなく、親から子へ、教会が人々へ、そして互いに、愛することとセットで人間が用いられて伝わります。今日の箇所も、父が子どもを愛するゆえに神様の知恵を大事にするようにと繰り返しています。
4 父は私を教えて言った。「私のことばを心に留め、私の命令を守って、生きよ。
5 知恵を得よ。悟りを得よ。忘れてはならない。私の口の授けたことばからそれてはならない。
6 知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ。
神の知恵は僕らを守ります。だから神様のことばはどんなにお金をかけてもその価値があります。なぜならそれは永遠の命と栄光をもたらすものだからです。
7 知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。
8 それを尊べ。そうすれば、それはあなたを高めてくれる。それを抱きしめると、それはあなたに誉れを与える。
9 それはあなたの頭に麗しい花輪を与え、光栄の冠をあなたに授けよう。」
イエス様のことばを求めて犠牲を払う人は何も失うものがありません。むしろもっと良いものが与えられます。イエス様はおっしゃいました。
(マルコ 10:29-30)
イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。
聖書は「あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。」と言います。(7)神様のことばは全てを他の全てを犠牲にしても良い価値のあるものです。地上で蓄えた知識も財産も、やがて朽ちて消え去ります。その前に、すべてを知恵にかけよ、と箴言は教えています。神様のみことばに従うことは永遠の祝福に向かう道です。
12 あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走るときにも、つまずくことはない。
13 訓戒を堅く握って、手放すな。それを見守れ。それはあなたのいのちだから。
しかも、神様のことばは今から僕らの内側から健康にします。なぜなら、神様のことばは単なる文字ではなく命そのものだからです。
20 わが子よ。注意して私のことばを聞け。私の言うことに耳を傾けよ。
21 それらを見失うな。自分の心のただ中に保て。
22 それらは、見いだす者にとっていのちとなり、全身の癒やしとなるからだ。
心の中に、失望、不安、心配、怒り、焦り、落胆、ねたみ、拒絶感、孤独感などがあると健康を失います。ところが僕らは悪いことばばかりを反芻し自分を弱らせる悪いクセがあります。悪いことばを繰り返し思い出して苦しむなら、その度に神様のことばを思い出す習慣にしましょう。
今、あなたの心の中に繰り返し出てくることばは何でしょう。悪いことば、悪い出来事でしょうか?それとも神様のことばでしょうか?聖書は「何を見張るよりもあなたの心を見守れ」と言います。(23)心に神様のことばを入れることは最優先事項です。心に何があるかで一生が決まるからです。
21 それらを見失うな。自分の心のただ中に保て。
22 それらは、見いだす者にとっていのちとなり、全身の癒やしとなるからだ。
23 何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。命の泉はこれから湧く。
23節は、口語訳「油断することなく、あなたの心を守れ」(新共同訳)「何を守るよりも、自分の心を守れ」
(リビングバイブル)「何よりも、心を見守りなさい」です。
神のことばを心に入れる生活はどんなことよりも価値があります。神様のことばのために、優先順位を見直しましょう。それはあなたを守り、あなたを保ち、あなたを高め、あなたに誉れを与えます。(6、7、8、9節)
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