断食してお祈りすることは、食事や食事の準備の時間を神様にささげて祈ることです。聖書の時代は食事の準備にすごく時間がかかったので、断食すると時間がすごく増えました。時間を神様にささげることは素晴らしいことです。…ですがだんだんそれがルールになってしまって「断食しなければ神様に受け入れられない」という教えになってしまい、当時の聖書の先生は週に2回(月曜と木曜)は断食していました。ところがイエス様の弟子たちは断食日に食べています。しかも罪人たちや遊女たちと一緒にです。イエス様は相当型破りだったようです。彼らは質問しました。
(14節-15節)
するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。
イエス様は弟子たちのことを「花婿に付きそう友だち」と言われました。イエス様はが花婿であり、食事会の主役です。そして、一緒に食べている弟子たちも罪人たちもイエス様に付きそう大事な友だちです。花婿イエス様は一緒にいてくれる彼らを喜んでおられます。食事の席に招かれているのは悪いことをしてきた取税人や売春婦たちです。この聖書を書いているマタイも元取税人です。ところがイエス様は「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」とおっしゃり、しかも彼らを友だちと言われます。(9.13)
彼らが真面目になったから友だちになったのではなく、イエス様が呼びあつめたから、十字架の犠牲によって罪をきよめられる人たちだからです。自分の努力とか正しさとか頑張りで赦されるのと、イエス様の愛と恵みで赦されることは全然違います。断食したり苦行したりの頑張って神様に認められようとすることと、神様の選びと赦しの恵みによって認められることは全然違います。一緒になろうとしても無理です。
両者は真新しい布と、古い布くらい違います。新しくて伸縮する布と、古くて固くなってしまった布は一緒になれません。もし、縫い付けるなら古い服を破ってしまいます。
(16節)
だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。
また、新しいぶどう酒と古い皮袋くらい違います。新しいぶどう酒は発酵して膨らみます。生きているようです。古くて固くなった袋に入れると袋が裂けてしまいます。
(17節)
また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。
古い着物とか古い皮袋とは、断食をして頑張ったら神様に赦されるとか、○○をしたら神様に認められる、という固まってしまったルールです。僕ら人間は神様によらないカタチにこだわってしまいがちです。しかも、神様が変えようとしてもなかなかカタチや生き方を手放そうとはしません。手放さないどころか、それを自慢することさえあります。それは生きておられる神様の恵みではなく、自己満足です。
イエス様はいつも型破りです。そして、いつも新しいことをされる方です。型にとらわれずにイエス様に信頼する人は救われます。
ある会堂管理者は自分のプライドを捨て、メンツを捨ててイエス様にひれ伏しました。会堂管理者とは伝統を重んじ、尊敬される長老クラスの人です。人々はイエス様を異端児だとし、敵対する人も多くいました。だのに、この会堂管理者は自分を捨ててイエス様を信頼し、ひれ伏して死んだ娘が生き返ることを願いました。
(18節)
イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」
イエス様にひれ伏すことは、会堂管理者としての立場を失うことです。彼は立場より仕事よりもイエス様を信頼しました。そしてその娘は生き返りました。(24-25節)
また、12年間出血が止まらない女性もイエス様を信頼しました。旧約聖書によれば、この病気の女は汚れている人です。(レビ15.26-27)人々はこの女を避けていたし、自分でも汚れた女だと思っていました。ところが、そのような汚れて傷ついた女を愛してくださるのがイエス様です。立派な人じゃないとダメとは思いませんでした。汚れて嫌われている私でも、イエス様にさわれば治る、とそれだけを信じていました。
(20-22節)
すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。
「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と心のうちで考えていたからである。
イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。
イエス様は僕らの固まった考えをはるかに超えているし、伝統とかカタチにとらわれない方です。罪人を招き、ご自分を信頼する人たちを友として喜んでおられます。自分の中で固まってしまってる考えはあるでしょうか。イエス様に対して「イエス様はこうでなければ、ああでなければ」と勝手に決めつけていることはあるでしょうか。イエス様は僕らの思いをはるかに超えていて型破りです。新しいことをされる方です。そして、この方を信頼する人は失望しません。ハレルヤ!
(ローマ10.11)
「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
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