2023年3月20日月曜日

マルコ10.46-52

 マルコ10.46-52 イエス様は言います。「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ11.24)反対に、疑う人は何かをもらうことはない、とも言います。(ヤコブ1.6-7)神様が願っておられるのは信仰です。信仰とは神様を信じることです。神様は僕らの祈りや叫びを聞き、僕らが思う以上に良いことをしてくださいます。主が僕らに目を注ぎ、愛し、答えてくださるなら何も不足はありません。それだけで十分です。その実例が今日の箇所にあります。


(46-48)46,さて、一行はエリコに着いた。そしてイエスが、弟子たちや多くの群衆と一緒にエリコを出て行かれると、ティマイの子のバルティマイという目の見えない物乞いが、道端に座っていた。47,彼は、ナザレのイエスがおられると聞いて、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と叫び始めた。48,多くの人たちが彼を黙らせようとたしなめたが、「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と、ますます叫んだ。


この盲人はとにかくイエス様に気がついてもらうことに必死でした。イエス様と会話さえできれば全て満たされると信じていました。そして、その願いは叶いました。


(49-50)49,イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその目の見えない人を呼んで、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたを呼んでおられる」と言った。50,その人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。


イエス様に目を留めてもらい、呼ばれただけでもう全てが満たされたかのように喜んでいます。盲人にとって上着は生活必需品だし、唯一の財産です。ところが彼はもう、そんなモノよりもイエス様です。「上着を脱ぎ捨て、躍り上がって」イエス様のところに行きました。もう、自分の持ち物にこだわってる場合ではありません。


(51-52)51,イエスは彼に言われた。「わたしに何をしてほしいのですか。」すると、その目の見えない人は言った。「先生、目が見えるようにしてください。」52,そこでイエスは言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました。」すると、すぐに彼は見えるようになり、道を進むイエスについて行った。


彼の信仰が彼を救いました。神様が僕らに求めているのは「信じること」です。もし信じてないなら、いくら祈ってもムダです。反対に、小さくても信仰があればそれで十分です。(ルカ17.6)今日もイエス様を信じて祈りましょう。目先の自分のモノとか、自分のお金とか、時間とか、状況にこだわるより、イエス様と交わる方がはるかに価値があります。というか、大事なことは一つだけです。イエス様を信じて交わり、信じて会話し、イエス様のことばをもらって信じること、それだけで十分です。ハレルヤ!


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