2023年3月1日水曜日

ルカの福音書24.1-32

 ルカの福音書24.1-32

聖書の教えはいいねえ、と言う人も、イエス様の復活の記録になると「ん?」と思う人がいます。イエス様の弟子たちでさえも復活の話は「たわごと」だと思ったそうです。
11 使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。
僕らも、当時の弟子たちもイエス様を小さく理解していました。イエス様は僕らの常識や計算の中に入る小さな方ではありません。でも、女の弟子たちはイエス様は死んでしまったと思ったままです。遺体に香料を塗ってそのまま洞穴のお墓に安置するのが当然のやり方でした。
1 週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。
彼女たちはイエス様から何度も「三日目によみがえる」と聞いていましたが本気にせず、自分のやり方で埋葬しようとします。しかし、復活されたイエス様の遺体はそこにありませんでした。天の使いが現れて教えてくださいます。
2 見ると、石が墓からわきにころがしてあった。
3 はいって見ると、主イエスのからだはなかった。
4 そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。
5 恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。
神様のことばを聞くことは、僕らの思い込みや経験や計算が通用しなくなることです。彼女たちは復活はないと思っていました。しかし墓に遺体はなく、天の使いが現れて下さる現実に恐れ、ひれ伏します。イエス様は生きておられます。
6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
7 人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」
8 女たちはイエスのみことばを思い出した。
天の使いの言い方は責め口調です。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。」イエス様は生きているのに、なぜ死んだ方のように、力のない方のように思って自分のやり方や自分の考えから出ようとしないのですか?と責めています。復活を信じていなかった弟子は他にもいました。
13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
彼らの話は「私はこう思う」「俺はこう思う」という話ばかりです。
イエス様は復活し彼らと一緒にいてくださいます。それでも、彼らはイエス様が生きておられることがわからず、自分の話ばかりをします。
15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
聞いていても本気にしない彼らにイエス様は「ああ、愚かな(バカな)人たち」と言われます。そして、もう一度、聖書から復活が真実であることを丁寧に説明してくださいました。
25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」
27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。
イエス様は僕らの思うような小さな方ではないし、僕らの計算や計画に入るような方ではありません。イエス様は今日も生きておられます。だのに、自分の考え、自分の計算、自分のやり方にしがみつくなら、イエス様は「ああ、愚かな(ばかな)人たち」と言われます。
イエス様は今日も聖書を通して僕らの心の目を開こうとしておられます。イエス様は生きておられます。自分の手の届く範囲だけで考えるのはやめましょう。自分の考えだけで生きるのは愚かなことです。イエス様は惜しげもなく今日も知恵を与えてくださいます。生きておられます。ハレルヤ!

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