2023年3月6日月曜日

創世記24章

 創世記24章

神様はアブラハムを選び、アブラハムの子孫が増えること、そして、その子孫によって世界中に祝福が広がることを約束されました。子孫が増えることが約束されていますが、アブラハムは晩年になり、イサクはまだ独身です。アブラハムには最後の仕事がありました。それはイサクに嫁を見つけることです。嫁には条件がありました。
1、この土地(カナン)の娘でないこと。アブラハムの出身地から見つけること。
この土地の人は神様を信じることも恐れることもありませんでした。(創世記20.11)また、この土地の女性と結婚するなら、その女性が神様から息子を引き離してしまうと神様は後で何度も言われます。
2、一緒にカナンの土地に来て住んでくれること。出身地に戻らないこと。
神様はアブラハムに「あなたの子孫にこの土地を与える」と言われました。その約束を一緒に信じて、この土地に住んでくれる女性でなければなりません。
アブラハムはイサクの嫁を見つけてくることをひとりのしもべに任せました。神様は「石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになる」(新約聖書ルカ3.8)のですが、神様は人間にその役目を任されます。神様の支配や力と、僕ら人間が動いて神様のご計画を成し遂げることは両立します。神様は僕らが聞き従うことを喜んで用いてくださいます。
2 そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。(性器の下に手をいれる厳粛な誓いのやりかたです。)
3 私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。
4 あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。」
5 しもべは彼に言った。「もしかして、その女の人が、私についてこの国へ来ようとしない場合、お子を、あなたの出身地へ連れ戻さなければなりませんか。」
6 アブラハムは彼に言った。「私の息子をあそこへ連れ帰らないように気をつけなさい。
7 私を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地を与える。』と約束して仰せられた天の神、主は、御使いをあなたの前に遣わされる。あなたは、あそこで私の息子のために妻を迎えなさい。
8 もし、その女があなたについて来ようとしないなら、あなたはこの私との誓いから解かれる。ただし、私の息子をあそこへ連れ帰ってはならない。」
このしもべは嫁探しの旅に出かけ、イサクの嫁が見つかるように、なるべく具体的に祈りました。以下は神様に祈った祈りです。
14 私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください。』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」
神様は祈りに答えてくださり、願った通りの娘リベカと出会わせてくださいました。願った通りにリベカは十頭のらくだ全部に水を飲ませてくれます。大変な重労働でも喜んでやってくれるリベカと出会ったことが、神様からの祈りの答えだとハッキリ分かりました。しかも、彼女がアブラハムの親戚の娘だと分かります。神様に祈った通りの娘に出会わせてくださった時、しもべは思わずひざまずいて礼拝しました。
26 そこでその人は、ひざまずき、主を礼拝して、
27 言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」
このしもべはリベカの父や母や兄に接待されます。沢山の料理が出されましたが、彼は目的を見失いません。
彼は両親と兄に、リベカを嫁として連れて行っても良いかどうか返事を求めます。どんなに接待されても、まずは神様とアブラハムに従うことを優先します。
33 それから、その人の前に食事が出されたが、その人は言った。「私の用向きを話すまでは食事をいただきません。」「お話しください。」と言われて、
34 その人は言った。「私はアブラハムのしもべです。(…中略…)
49 それで今、あなたがたが私の主人に、恵みとまこととを施してくださるのなら、私にそう言ってください。そうでなければ、そうでないと私に言ってください。それによって、私は右か左に向かうことになるでしょう。
このしもべは、もしもリベカを嫁にしてもらえないなら料理には手をつけずにすぐに去る覚悟がありました。僕ら人間は人間関係を優先します。が、彼は神様からの役目、そしてアブラハムからの役目を果たすことを優先していました。彼は人に従うよりも神様に従うことを優先していました。父親と兄はリベカを嫁として連れて行くことを了承しました。このしもべは、その返事を聞くなり、神様を恐れひれ伏し礼拝しました。
52 アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝した。
53 そうして、このしもべは、銀や金の品物や衣装を取り出してリベカに与えた。また、彼女の兄や母にも貴重な品々を贈った。
僕らは神様からの命令や役目よりも、この世の損得とか、人から良く思われることを優先し、人間関係に縛られたりします。でも、このしもべは神様の願いとアブラハムからのことばをいつも優先していました。これはストイックなことではありません。聖書によると、イエス様のことばをいつも優先している人はこの世のしがらみに振り回されることがありません。それこそが自由だと聖書は言います。
(新約聖書ヨハネ 8:31-32)
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
僕らの世界は人間関係やいろんな人の意見が渦巻いていて、僕らは他人の状況やことばを見ては振り回されてしまったり、縛られてしまったりします。
でも、神様のことばにとどまる人は自由です。周りの目や評価や意見に振り回されることなく、縛られることなく、神様と人を愛することができます。神様の願いは僕らが自由に神様に従うことです。
いつもイエス様のことばを聞きましょう。そこには縛りではなく自由があります。あちこちに気を使って疲れるのではなく、イエス様に喜ばれていることで十分です。今日も僕らがイエス様と一緒にいる自由を満喫できますように。
(新約聖書 使徒5:29)人に従うより、神に従うべきです。

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