2023年3月6日月曜日

創世記25.1-18

 創世記25.1-18

神様はアブラハムの子孫を祝福する、と何度も約束されました。しかも、アブラハムの子どもたちの中でも「イサクの子孫を」祝福されます。イサクとその子孫だけ特別扱いです。
これは僕らから見ると不公平に見えます。
アブラハムにはイサクの他にも子どもがいます。
まず、女奴隷に産ませたイシュマエルという子どもがいます。
また、ケトラというそばめに産ませた6人の子どもたちのことも書かれています。(創世記25.1-4)
ところがアブラハムは「イサクだけに」全財産を与えます。そして、イサクは特別に神様に祝福されます。それ以外の子どもたちは贈り物を与えますが、遠くに移住させ、イサクとは離れさせます。
5 アブラハムは自分の全財産をイサクに与えた。
6 しかしアブラハムのそばめたちの子らには、アブラハムは贈り物を与え、彼の生存中に、彼らを東のほう、東方の国にやって、自分の子イサクから遠ざけた。
11 アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。
聖書はイサク以外の子どもたちとその子孫についても記録しています。が、彼らは祝福される家系ではありません。
12 これはサラの女奴隷エジプト人ハガルがアブラハムに産んだアブラハムの子イシュマエルの歴史である。
13 すなわちイシュマエルの子の名は、その生まれた順の名によれば、イシュマエルの長子ネバヨテ、ケダル、アデベエル、ミブサム、
14 ミシュマ、ドマ、マサ、
15 ハダデ、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである。(…中略…)
18 イシュマエルの子孫は、ハビラから、エジプトに近い、アシュルへの道にあるシュルにわたって、住みつき、それぞれ自分のすべての兄弟たちに敵対して住んだ。
僕ら人間はこの「差」を不公平だと思います。自分で家系を選べる子はいません。それ以外の子どもたちは祝福されず、「異邦人」と呼ばれるようになりました。聖書によると「異邦人」はユダヤ人から軽蔑されていたことが分かります。
神様は不公平じゃないか?という問いに対して、聖書は答えます。
まず、誰がどこに生まれるか、そのように人を造り、決めるのは神様です。
(新約聖書 ローマ 9:11)
その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方による…
(ローマ9:20)
形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。
先ほどの問い(神様は不公平じゃないか?)の答えの続きです。
神様は異邦人を差別し、見捨てることはしません。イサクの子孫への祝福は全人類に広がっています。
(新約聖書 ローマ 9:24-25)
神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
それは、ホセアの書でも言っておられるとおりです。「わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。
神様は明らかにイサクとその子孫を特別に祝福しておられます。そして、イエス様を信じる人たちをこの祝福に入れてくださるのは明らかです。
(新約聖書 ガラテヤ 3:9)
そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。
(ガラテヤ 3:28-29)
ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。(…中略…)もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
(ガラテヤ 4:28)
兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。
イサクが特別にアブラハムの全財産を受け継ぎ、神様から愛され喜ばれているのは、イエス様を信じる人の身分がどんなにすばらしいかを現しています。
どんなに資格がないように見える罪人でも、過去がどんなに汚れていても、家系が悪くても、育ちが悪くても関係ありません。イエス様を信じる人は、神様に祝福された神様の子どもです。
相続人とは、親が持っている財産を全部もらえる立場です。
(ガラテヤ 3:29)
もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
ひどい家系で、ひどい過去があり、資格がないと知るほどに、神様からの祝福と愛の大きさはハッキリします。イエス様を信じた人は神様の子どもです。
(新約聖書 ヨハネ 1:12-13)
この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
信じる人は神様に愛され、喜ばれている祝福の子です。神様はそれを約束してくださっています。信じて喜び感謝しましょう。神様が今日、僕らに語ってくださっているかのようです。「 おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。」(新約聖書 ルカ 15:31)

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