2023年3月6日月曜日

創世記25.19-34

 創世記25.19-34

神様はアブラハムの子イサクを祝福し、その子孫は 「地のちりのように、星のようになる」 と何度も約束しておられました。ところがイサクには子どもが生まれません。そこで、イサクは神様に祈りました。
21 イサクは自分の妻のために主に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。主は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった。
神様のことばは実現します。が、全自動ではありません。
神様が願っていることは、人間が神様と交わり、求め、対話しながら歩むことです。イサクが子どもを祈り求めた時に、リベカは妊娠しました。
神様が「子孫が増える」と言われたことばは、イサクがそれを求め祈った時に実現していきました。
リベカは双子を出産しました。2人とも神様の祝福のことばを聞いて育ちましが、兄エサウは神様からの祝福の約束を軽く見て放棄しました。
神様からの祝福より、目先の食べ物を選んだことが書かれています。
29 さて、ヤコブが煮物を煮ているとき、エサウが飢え疲れて野から帰って来た。
30 エサウはヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。」(…中略…)
31 するとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。」と言った。
32 エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。」と言った。(…中略…)
34 ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。
兄エサウは神様からの長子としての祝福を軽蔑しました。そんな未来よりも今の欲望だけしか考えなかったようです。新共同訳は「長男の権利などどうでも良い」と訳しています。彼は後で泣いて後悔することになります。新約聖書はこの箇所を解説しています。
(新約聖書 ヘブル 12:16-17)
不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。
あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。
僕ら人間は神様のロボットではありません。神様と対話し、神様を愛し、神様のことばを聞き、従うように、自由な意思を持つように作られています。ロボットやあやつり人間ならそこに愛や自由の関係はありません。
神様は僕らを祝福に招いておられます。
それはこの世のどんなものよりも良いものです。
たとえ全世界を手に入れたとしても、永遠の祝福を失ったら意味がありません。
永遠の祝福のために、いつも神様と会話しながら歩みましょう。
神様が願っておられるおられるのは僕らがロボットになることでなく、自由に考え自由に決断する人として、神様と交わりながら責任をもって決断することです。神様のご計画は僕らの祈りと決断と行動とセットです。
今日も神様と交わりながら、質問しながら、聞きながら祝福を選びましょう。神様の祝福へのご計画と僕らの行動は一つです。

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