2023年3月1日水曜日

創世記38.12-30

 創世記38.12-30

罪を恥じた人に神様は特別に良くしてくださいます。罪の量が多い程、イエス様の赦しの量も多いです。
ユダは神様を離れて堕落していました。でも自分のことは棚に上げて他人には厳しかったようです。彼の長男は罪のために神様に殺され、次男も神様に殺されました。それでもユダは罪を離れません。
嫁のタマルはユダの子孫を産むために、お父さんをだまして売春婦のフリをしてお父さんを誘惑し関係を持ち妊娠します。
15 ユダは、彼女を見たとき、彼女が顔をおおっていたので遊女だと思い、
16 道ばたの彼女のところに行き、「さあ、あなたのところにはいろう。」と言った。彼はその女が自分の嫁だとは知らなかったからである。
ユダは嫁のタマルに息子のシェラと結婚させると約束していましたがその気はなかったようです。彼は祝福の子孫を生むことに興味はありません。自分さえ良ければいい人でした。そんな義父にタマルは強硬手段で肉体関係もち、妊娠します。
16 彼女は、「私のところにおはいりになれば、何を私に下さいますか。」と言った。
17 彼が、「群れの中から子やぎを送ろう。」と言うと、彼女は、「それを送ってくださるまで、何かおしるしを下されば。」と言った。
18 それで彼が、「しるしとして何をあげようか。」と言うと、「あなたの印形(実印のようなものです)とひもと、あなたが手にしている杖。」と答えた。そこで彼はそれを与えて、彼女のところにはいった。こうしてタマルは彼によってみごもった。
相手の売春婦が嫁のタマルだと気づかないユダは3か月後に「嫁が淫らなことをして妊娠している」ということ聞きます。彼はカンカンに怒って「嫁を焼き殺せ!」と言います。
24 約三か月して、ユダに、「あなたの嫁のタマルが売春をし、そのうえ、お聞きください、その売春によってみごもっているのです。」と告げる者があった。そこでユダは言った。「あの女を引き出して、焼き殺せ。」
自分には甘く、他人には厳しいのは僕ら共通です。みんな自分の罪は忘れて他人を責めます。イエス様は罪や欠点を指摘する人には必ずもっと大きな罪がある、とおっしゃいました。「必ず」です。
(新約聖書 マタイ 7:3-4)
なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁(屋根を支える一番太い木材)には気がつかないのですか。
兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。
ユダは妊娠した嫁を「焼き殺せ!」と言いますが、実はその相手は自分でした。
25 彼女が引き出されたとき、彼女はしゅうとのところに使いをやり、「これらの品々の持ち主によって、私はみごもったのです。」と言わせた。そしてまた彼女は言った。「これらの印形とひもと杖とが、だれのものかをお調べください。」
26 ユダはこれを見定めて言った。「あの女は私よりも正しい。私が彼女を、わが子シェラに与えなかったことによるものだ。」こうして彼は再び彼女を知ろうとはしなかった。
ユダはタマルが売春婦だと思って関係を持ちました。それで生まれた子孫にイエス様がお生まれになります。恥ずかしい家系です。聖書はわざわざその罪がわかるように書いています。
(新約聖書マタイ 1:1-3)
アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。(…中略…)ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、…
このイエス様の系図を読む人たちが「うわ、あの話だ」と分かるように書かれています。淫らな罪の中に、イエス様は救い主としてお生まれになります。イエス様は僕ら人間の罪を背負って赦してくださるために、恥ずかしく救いようのない家系に生まれて下さいました。
イエス様が招いておられるのは、淫らでみじめな罪人たちです。この妊娠によって生まれた子どもは祝福されます。
後でボアズとルツが結婚する時、人々は祝福の代表のようにタマルのことを言います。タマルが生んだ子ペレツは立派なペレツ家になっていきます。
(旧約聖書 ルツ 4:12)
あなたの家が、タマルがユダに産んだペレツの家のようになりますように。
罪を恥じた人に神様は特別に良くしてくださいます。罪の量が多い程、イエス様の赦しの量も多いです。イエス様は僕らの罪のために十字架で死ぬために生まれてくださった方です。
僕らも人に言えない恥ずかしい罪があります。でも、それで祝福がなくなることはありません。
(新約聖書 ローマ 8:1)
今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
今日も罪を認めましょう。黙って隠すなら疲れます。告白するなら豊かに赦されます。
(旧約聖書 詩篇 32:3-5)
私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。(…中略…) 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。
(新約聖書1ヨハネ1:7-8)
御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。

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