2023年3月1日水曜日

創世記40章

 創世記40章

どんなに辛く悲しいことがあっても、神様を愛する人にとっては、それは神様からのセッティングです。人間から見ると「なんでこんなことが…?」と思っても、神様から見るとその先に起こる祝福のための準備です。
ヨセフは何も悪いことをしてないのに投獄されました。
でも、彼は将来祝福されることを夢で見せてもらっていました。
神様の祝福を信じる彼は投獄させられても希望を持ちつづけ、周りの人に親切にし続けます。その一つ一つが用いられていきます。
ある日、ヨセフの監獄に王様の側近が入って来ました。
そしてヨセフは彼らのお世話係になり、彼らに親切にしケアします。
すべてが将来のための神様の準備でした。
1 これらのことの後、エジプト王の献酌官(王様の飲み物の責任者。王の側近で相談役を兼ねている人です。)と調理官(食べ物の責任者。同じく王の側近です)とが、その主君、エジプト王に罪を犯した。
2 それでパロは、この献酌官長と調理官長のふたりの廷臣を怒り、
3 彼らを侍従長の家に拘留した。すなわちヨセフが監禁されている同じ監獄に入れた。
4 侍従長はヨセフを彼らの付き人にしたので、彼はその世話をした。
この出会いがきっかけになってヨセフは将来エジプトのトップになります。無実なのに投獄されひどい目にあっているヨセフです。でも、神様はそれを良いことのための用いられます。これは僕らにも適用できると聖書は言います。
(新約聖書ローマ 8:28)
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ヨセフは2人の側近を愛していたことがわかります。その愛は、ヨセフから出ることではありません。人間から出る愛は小さくて苦しみの中では消えていき、自分のことしか考えられなくなります。ところが、ヨセフには神様がいつも一緒でした。
(創世 39:23)
監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。
ヨセフはいつも投獄されている王の側近たちを関心をもって見つめていました。関心を持つことは神様の愛の現れです。ある日彼らは夢を見て悩んでいました。彼はそれを見て尋ねます。
6 朝、ヨセフが彼らのところに行って、よく見ると、彼らはいらいらしていた。
7 それで彼は、自分の主人の家にいっしょに拘留されているこのパロの廷臣たちに尋ねて、「なぜ、きょうはあなたがたの顔色が悪いのですか。」と言った。
8 ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」
ヨセフは夢から神様からのメッセージを説明することのできる人です。ヨセフができるのではなく、神様が教えてくださいます。
8 ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」
9 それで献酌官長はヨセフに自分の夢を話して言った。
ヨセフは2人に夢の意味を教えました。自分の予想でも考えでもなく、神様からのメッセージをはっきり語ります。解き明かすことは、神のなさることです。そのメッセージに付け足すことも引くこともせず、そのままを伝えました。
一人の夢の意味は一度王様の相談役に戻る、という意味でした。そしてもう一人の夢の意味は王様に殺される、という意味です。そしてそれは実現します。
僕らは自分に都合の良いことだけを知りたいと思います。でも、ヨセフは神様に忠実でした。神様からのことばを曲げず、盛らずに話します。その夢の話は現実となり、料理官長はその通りに処刑され、献酌官長はもう一度王の側近に戻りました。それでもヨセフがしたことは忘れられていきます。
23 ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。
王様の側近に親切にしたこと、夢の解き明かしが現実になったこと、すべてが忘れられていきます。そして、さらに2年間もヨセフは監獄に入ったままです。それでも、神様は出来事全部を用いてヨセフを祝福します。
今、僕らにどんなに辛く悲しいことがあっても、神様を愛し神様を愛する人にとっては、それは神様からのセッティングです。誰にも知られなくても、神様には知られています。親切にして忘れられたこと、悪くないのに苦しめられたこと、全部を神様は見ておられます。そして、ヨセフと同じように、神様は僕らを祝福しようとしておられます。
(新約聖書1テモテ 5:25)
良い行ないは、だれの目にも明らかですが、そうでないばあいでも、いつまでも隠れたままでいることはありません。

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