2023年3月14日火曜日

マルコ5.1-13

 「悪霊に勝利しているイエス様と私たち」 1.29   マルコ5.1-13メッセージ


今日は、悪霊の働きについて聖書から聞いてきます。悪霊の話を聞くとちょっと怖いなと言う印象を持つんですが、今日の結論は悪霊怖いなと言うことではなくイエス様が圧倒的に勝利していると言うことを私たちが確信して安心して信頼して歩むようになることです。


●文脈


この文脈は、世界を支配する主様イエス様がすべての力を牽引を持っていると言う文脈で、そのイエス様は風が海に対しても自然界に対しても権威を持っていると言う文脈です。


4章

39,イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。

40,イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」

41,彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」


それで、その続きとして今度はあらゆる悪霊に対するまた悪魔に対する力もイエス様が完全に持っていると言う話の流れです。


●誰よりもイエス様の動きを気にしておびえている汚れた霊


1,こうして一行は、湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。

2,イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊につかれた人が、墓場から出て来てイエスを迎えた。


6,彼は遠くからイエスを見つけ、走って来て拝した。


イエス様がこの地域来た事は、その土地の人には誰にも知らせてなかったはずなんですが、遠いところに墓場に住んでいながらすぐに敏感に察知して走って岸まで迎えに来ています。

誰よりも、イエス様の動向に注目し怯え反応しているのは悪霊の方です。


 6節を見ると、ひれ伏していることがわかります。そして命乞いしています。


7,そして大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」


彼の願いは、滅ぼさないでくださいと言うお願いです。苦しめないでくださいと言うお願いです。悪霊はもう滅ぼされるっていうことがわかっておびえています。同じ記事がマタイの福音書にも書かれてるんだけども、そこではこう書かれています。


マタイ 8:29 すると、見よ、彼らはわめいて言った。「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」


その時が来たら私たちは苦しめられ日に投げ込まれる、と言うのを知っています。悪霊はクリスチャンよりもずっと聖書に詳しいです。これからどんなことが起こるか黙示録の予言全部わかっています。黙示録によると彼らは底知れぬところに閉じ込められ、その後、一度出て来るけども、火で焼き尽くされ、永遠に苦しむと書かれている。それを2000年前から知っていて怯えています。


同じ話がルカの福音書にもあります。


ルカ 8:31 悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。


彼らはすごく怯えています。3章にはこうあります。


マルコ3:11

汚れた霊どもは、イエスを見るたびに御前にひれ伏して「あなたは神の子です」と叫んだ。


救いが来る時に、慌てて反応する悪霊


そしてこの話の結末はこの男が悪霊から解放されて、この地域、デカポリス地方でイエス様の福音を広めたと言うのがこの話の最後です。多くの人たちがイエス様の愛と恵みと解放力を知ることになります。


19,しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」

20,それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。


このように、救いが起こる直前には悪魔も悪霊も敏感に反応して全力でそれを阻止しようとするようです。


神様の大きな救いの前には悪魔の働きも増えます。イエス様が地上に来てくださった、ベツレヘムでお生まれになった、その時に悪魔も必死ですヘロデ王を使って2歳以下の男の子を全部殺せと命令します。


1948年にイスラエルが建国します。でも、その前に悪魔も反応します。悪魔はナチスを使ってユダヤ人たちを徹底的に殺します。

誰よりも神様の救いの働きに反応して動くのは敏感なのは人間よりも悪魔そして悪霊です。


イエスがこの地域に来た近づいただけで、墓場にいる彼は察知して走ってきてひれ伏して迎えます。

悪霊は懇願します。


7,そして大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」


教会が伝道します。イエス様の福音を伝えます。でもその時に誰よりも反応して妨害するのは汚れた霊です。救いが起こる前にいろんな悪いことを起こそうとして妨害するのが悪霊の働きです。


●誰にも抑えられない破壊的な霊


聖書は、悪霊の力がどんなに強いかこの箇所で強調しています。人間にはどうしようもない圧倒的な力が汚れた霊の力です。そしてさらに人間には絶対にできない圧倒的な勝利の力を持っているのがイエス様の力、権威です。


この箇所は、人間の力を遥かに超えた霊の戦いでもあります。そしてイエス様が圧勝しています。


3,この人は墓場に住みついていて、もはやだれも、鎖を使ってでも、彼を縛っておくことができなかった。

4,彼はたびたび足かせと鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまい、だれにも彼を押さえることはできなかった。

5,それで、夜も昼も墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていたのである。


よく読むと、もはやだれも、鎖を使ってでも彼を縛っておくことができなかったと強調しています。繰り返して4節でも誰にも彼を触ることができなかった、足かせも鎖も引きちぎり、砕いてしまうほどの怪力が悪霊によって与えられていました。

悪霊の力は、人間の力をはるかにはるかに上回ります。そして悪霊は人を破壊します。彼は自分の体を傷つけていたと書かれています。自分を抑えることができなくなって1日中白馬でも山でも叫び続けていました。心も体も傷だらけですそれでも容赦なく悪霊は彼を苦しめ続け、傷つけ続けます。この人はこのままで行くと悪霊に取り憑かれたまま自分を傷つけ続け、死ぬところでした。


悪霊はどうやらどこかに定住したいようです。それで人間に入ったり、動物に入ったりするようです。聖霊と悪霊は真逆です。聖霊は神様の霊、悪霊は悪魔の霊です。聖霊は人に住んで、その用いて神様の栄光と愛を、命を表します。悪霊もまた人に住んで、人を用いて悪魔の力を、破壊を、苦しみを、死を表します。その悪霊がレギオン(軍団の意味)大勢の悪い霊が住んでいたようです。


●悪霊を追い出すイエス様の権威


人間にはどうすることのできない悪い霊の働きも、イエス様には勝てません。イエス様が出て行け、と言われると出て行きます。

それでもこの地方から追い出さないでください、と懇願します。


8,イエスが、「汚れた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。

9,イエスが「おまえの名は何か」とお尋ねになると、彼は「私の名はレギオンです。私たちは大勢ですから」と言った。

10,そして、自分たちをこの地方から追い出さないでください、と懇願した。


11,ところで、そこの山腹では、おびただしい豚の群れが飼われていた。

12,彼らはイエスに懇願して言った。「私たちが豚に入れるように、豚の中に送ってください。」

13,イエスはそれを許された。そこで、汚れた霊どもは出て行って豚に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。


悪霊は破滅と死を表します。


●イエス様による猶予


やがてイエス様はもう一度この地上に再臨されます。そしてイエス様が王様してこの地上にイエス様の王国を作ってくださいます。今日の箇所はその予告編のように、その王国の様子をわかるように表してくださいました。


メシアの王国、キリストの王国は悪霊は追い出され一切の叫びも混乱も傷はなくもなくなり、すべての人が癒され、解放され、落ち着き、喜びと平和が満ちるそのような国です。そこに悪霊の支配はありません


その日が来るまで、悪魔の活動は続いています。イエス様による制限はあるけど、それでも悪霊の働きはあります。完全に滅ぼされるのは将来です。今はまだ猶予期間でもあります。今は世界は悪魔の支配下にある、と聖書は言います。そこから解放するのが福音です。だから福音を伝えなさい、と言います。一緒になって滅ぼされることがないためです。

福音が世界に伝えられて、それからキリストがもう一度こられます。その時には悪が一掃されます。



●私たちの悪霊に対する対応


1 御名を掲げること


イエス様ご自身が病人を癒してくださいます。イエス様ご自身が悪霊を追い出してくださいます。今イエス様は天におられます。では、地上でイエス様のこの救い、この良い行ないを誰がするのか?です。答えは、イエス様は、におられますがイエス様の御霊が、私たちのこの体を住まいとしておられます。またイエス様は天におられますがイエス様の体は地上にあります。イエス様の体とは、教会のことです。イエス様がなさることを癒しや悪霊を追い出していくこと福音を伝える事は、教会が教会につながる私たち一人一人がすることです。



イエス様は、私の名によって祈りなさいと教えられました。イエス様の御名によって、と言う意味は、遠藤の祈りだけれども、イエス様の祈りでもあるということです。初心者の学びの時いつも私が話すんですが、僕の高校の時の友達の鈴木君は警察官になりました。そして彼はスピード違反を取り締まって、前の車止まりなさい免許証見せてくださいと言う仕事をしています。でも鈴木も何よってやっているのではなく、警察の名によってやっています。つまり力があるのは、前の車止まってくださいと言って止まるのは、免許証見せてくださいって言ったら免許証見せるのは、鈴木だからではなく警察だからです、鈴木君の名前に力があるのではなく、警察の名前に力があります。同じように、イエス様はあなたの名前で祈るのではなく、イエス・キリストの名前で祈りなさい、私の何よって求めるものは何でもそれをしましょう、の父はそれを叶えてくださいます、とおっしゃってます。


私たちが行動すること、祈ること、悪霊に立ち向かうのは、私の力ではありません。私の名前ではありません。イエス・キリストの名前によってです


イエス様は、12弟子を召された時に、悪霊を追い出す権威を授けられました。


マルコ 3:14 そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、

マルコ 3:15 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。


ここよく読むと、身近に置くことと福音を伝えることと悪霊を追い出す権威が3つセットで描かれています。

これは私たちにも適用ができます。イエス様と一緒にいるということと悪霊を追い出すことがセットです。イエス様が、悪霊を追い出してくださいます。それを実際にするのは誰かと言うと弟子たちでした。私たち教会は、イエスキリストの体であり一人一人は各器官です。私たちがイエス様の名前、イエス様の権威を預かって同じく祈りそしてイエス様がおっしゃった通りに私たちも行動します。


ルカ 9:1 イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。

ルカ 9:2 それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。


イエス様が、汚れた霊はこの人から出て行けとおっしゃいますから、私たちにも汚れた霊はこの人から出て行け、と、イエス様の力と支配によって祈るまた命令する権威を預かっています。


その時に大事な事は、イエス様に信頼して名を用いると言うことです。御名をみだりに唱えてはならないと教えられています。みだりに唱えると言うのは意味もなく形式的に言わないということです。お祈りする時、ほんとに心からイエス様の権威によって神様お願いしますとイエスの名を用いて祈ります。毎日の祈りは全てイエス様の御名によります。御名、とはイエス様の力であり、支配であり、権力、栄光、全てを表します。鈴木くんが警察の一部であるように、僕らもキリストの一部とされ、器官とされ、枝とされています。


2 従うこと


ヤコブ 4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。


またヤコブ4章の方では、神に従うと言うことが勝利です。世俗的な歩み、罪を捨てる事が悪魔に勝利する大事なステップです。つまり、私も神様に従わないけど、私もこの罪は好きだけど、悪魔も出て行きなさいという両方、どっちも、は無理なんです。

次の行です。


ヤコブ 4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。


まずはあなたが神様に従いあなたが神様に従いなさい。そうすることで悪魔に立ち向かっていきなさいと教えられています。キリストに従って明け渡して従っているならば、悪魔は逃げ去っていきます。悪魔は恐れおびえています。

従うためには、日々みことばを聞く、ということが大事です。神様の教え、神様の言葉に聞いて、従う、その人は神様と一緒にいますから悪魔は恐れ怯えています。


ヤコブ 2:14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。


ヤコブ 2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。


水草先生から聞いた話ですが、何でもかんでも悪霊のせいにする事は悪霊が喜ぶと言いました。

何かうまくいかないことがあると悪霊の声だ悪魔の声だ気に入らないことがあると悪魔の声だ、エンジンがかからないと悪魔だ。どうして何でもかんでも悪魔の声はくれませんにすると悪魔が喜ぶか?それは、私たちの内側にある罪への悔い改めがなくなるからです。自分の自己中心や高ぶりをそのままにしたままで、何でもかんでも悪魔が悪いんだ私はこれでいいんだと言うふうにバランスを失ってしまう事は悪魔にとって喜びだ、悔い改めなくさせてしまう事は喜びだあくまでも作戦通りだ、と言う意味で水草先生が、何でもかんでも悪魔のせいにすると悪魔が喜ぶとまとめました、


聖書は、許さない心や、自制心を失っている事が悪魔に付け込まれる隙になっているということを教えています。淫らなことを止めないで、不正や、貪欲なずるさを止めないままで、人を許さず悪口を言ったままでこれは悪魔のせいだとか悪霊を出て行けと言うのはバランスを書いているといえます。ある先生は、悪口は悪魔の餌だと言いました喜んで悪霊が寄ってくると言いました。博子さんが、昔教えてくれました、ゴミとカラスの法則です。


ごみステーションをいくらネットをかけてもかけてもカラスがやってきますやってきます。どうすればいいのかと言うとそのごみステーションをいつもきれいにしておくと言うことです。収集車が来る直前には出すんだけどもそれが終わったらきれいに開く街中だから菅の食べ物さえなければカラスは寄ってこないと言うことです。同じように私たちの内側にある悪魔が大好きな高ぶり、笛、争い、悪口、妬み、淫らな思い、そのようなものはいつも神様の前にちゃんと言葉にして悔い改めて、手放しますやめますあなたに従いますと祈っていくのはほんとにごみステーションがきれいになるのと似ています。そこにカラスは来ません悪霊も寄ってくるスキがありません。


罪を悔い改めて、自分をきよく保つことが悪魔に対する勝利になります。



3 信じて祈ること


主の祈りの6番目です。


マタイ6.13「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』


悪い者、つまり悪魔からお救いくださいという祈りであると理解することができます。単純に悪いことから、という意味であったとしてもその背後に悪魔による様々な試みや苦しみがあるので、悪魔の働きによる悪いことから救ってくださいという祈りです。


ここも、順番は負い目を罪を赦してください、私たちも赦します、という祈りをしてから、悪魔から救ってくださいの順番。


信頼すること


1ペテロ 5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

1ペテロ 5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。


基本的に、聖書は悪魔に立ち向かいなさいと言っています。恐れることなく、信仰に立ってです。

イエス様は悪霊に勝利しています。そのイエス様が私たちを聖霊の宮としてこの体を住まいとして一緒にいて下さいます。だから、私たちも悪霊に勝利できます。またイエス様が勝利のお方であると言うことを固く進行しなさい、信仰とは信頼です。ペテロの手紙第一5章の方では固くイエスキリストに信頼して信仰に立って悪魔に立ち向かいなさい。です。


悪霊の方が恐れています。僕らは恐る必要がありません。敵は妨害してるし苦しめて来るけども、それ以上に勝利が決まっている圧倒的な王であるイエス様が一緒にいます。僕らは恐れず信頼するのみです。




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