2023年3月3日金曜日

ヨハネの手紙第一5.13-21

 ヨハネの手紙第一5.13-21

ある人が神様を信じて「ジャイアンツが勝ちますように」と祈り、他の人が「ファイターズが勝ちますように」と祈ったらどうなるでしょうか。
神様は願いを叶えてくれる便利なドラえもんのような存在ではありません。
神様はこの世界を造りこの世界を動かし人を生かしも殺しもできる唯一の神様です。神様の力と愛の大きさを知った人は自分の願い以上にこの神様のみこころを求めて祈るようになります。イエス様は弟子たちに祈り方を教えてくださいました。
(新約聖書 マタイ6:9-10)
だから、こう祈りなさい。(…中略…)みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
神様の愛と力を求め、人を愛し人をゆるそうとなさる神様のご計画を求め、それに沿った祈りをする人は必ず答えが与えられます。
14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
祈りとは、僕らの願いを神様に押し付けるのではありません。僕らの考えよりも遥かに良い神様のご計画を求めることです。神様の願いは僕らが神様を愛し、互いに愛し合うことです。この神様の願いに沿った祈りは必ず叶えられます。
(1ヨハネ 3:22-23)
求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。
神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。
神様は僕らの祈りに答えようと待っておられるかのようです。もし、僕らの祈りが届かないとすれば、相手を愛さない祈り、神様を愛さない悪い動機の祈りであると考えられます。
(新約聖書 ヤコブ 4:3)
願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
神様が聞いてくださる祈りの実例が書かれています。
16 だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。
周りの人が罪を犯しているのを見た人はその人の代わりに神様にゆるしを求めめなさい、と聖書はすすめます。自分でさばいたり、あきらめたり、投げ出したり、怒ったりする前に、まず神様に報告して、その人が助けられ罪をやめることができるようにです。「そうすれば神はその人のために、(…中略…)いのちをお与えになります。」
罪のない人はいません。そんな僕らのために、誰よりもイエス様ご自身が今日も祈り、神様に弁護してくださっています。
(1ヨハネ 2:1)
もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。
このイエス様の祈りに合わせて、周りの人の罪の赦しを祈り、一緒に神様に謝るのがみこころの祈りです。僕らが相手を愛し赦し祝福するために祈った祈りは必ず聞かれます。イエス様はこう祈りなさい、とおっしゃいました。
(マタイ 6:12)
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦します。
祈って求めたものは、すでに受けたと信じなさい、と聖書は書いています。
もし、その時に相手を恨んでいること、神様を愛していないことなどに気がついたらすぐに神様に謝りましょう。
(マルコ 11:24-25)
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
必ず叶う祈りは隣人を愛する祈りです。そして神様を愛する祈りです。
14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
今日も神様と隣人を愛する祈りをしましょう。神様は僕らの喜びに満たされることを願っておられます。
(ヨハネ 16:24)
求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
神様の願いと僕らの願いはひとつにされていきます。今日も祈りましょう。神様は必ず答えてくださいます。

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