マルコ13.28-37
イエス様は僕らに「目を覚ましていなさい」と繰り返します。(33、34、35)「眠っている」(36)とはイエス様がもう一度来られることを忘れることです。僕らは地上で仕事を預けられた神様のしもべです。眠るとはイエス様を忘れて「放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んで」いたり、(ルカ21.34)イエス様を忘れて「互いに文句を言い合って」いたり(ヤコブ5.9)「その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりいる」ことです。(マタイ 24:48-49 )イエス様を忘れることと、不満と文句に支配され始め、自己満足のために肉の欲や目の欲に流されることはセットです。
(33-37)
気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。
それはちょうど、旅に出る人のようです。家を離れるとき、しもべたちそれぞれに、仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているように命じます。
ですから、目を覚ましていなさい。家の主人がいつ帰って来るのか、夕方なのか、夜中なのか、鶏の鳴くころなのか、明け方なのか、分からないからです。
主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見ることがないようにしなさい。
わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。」
僕らは神様から役目を与えられたしもべです。力も立場も役目もお金も時間も神様からのものです。迫害があり悪の力が強くなる終わりの時は、イエス様が王として来られ、逆転勝利の通過点としての苦しみです。だから「これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。」(29)「主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見ることがないようにしなさい。」と言われます。(36)
僕らの心の中にはどのくらいの文句や不平があり、それを世の欲で満たしたいと思っているでしょう。不満や放蕩や争いはイエス様のしもべであることを忘れることとセットです。今日も僕らは仕事を割り当てられたイエス様のしもべです。聖霊に満たされ、イエス様に相談し祈りながら、力を与えられているしもべです。今日1日が主に喜ばれる日でありますように。
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