1コリント7.1-16
僕らのからだは神様のものです。オーナーは神様になりました。所有権は自分にはありません。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。」(6章9節)全部神様のもの、という意識を日々新たにすることは大事です。すぐに自分の願いや計画を主張し、やりたいようにしたがる僕らです。聖書は「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。」と言います。(ローマ12.1)「神様、僕のものではありません。どうぞご自由に使ってください」と神様にささげましょう。
新オーナーの意向は素晴らしいです。神様を愛し、人を愛するように変えられます。そして、キリストの体と一体にさせてもらうことは、一番近い存在である妻や夫を愛し、一体となることに現れます。
(エペソ5.31-32)
「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。
聖書は積極的に夫婦が性的な交わりをするように教えます。それは自分を捨てて相手を愛し献身することだからです。神様への献身は相手への献身に現れます。からだの所有者は神様であると同時に相手のものです。結婚は献身の表れです。
(3-5)
3,夫は自分の妻に対して義務を果たし、同じように妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。
4,妻は自分のからだについて権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同じように、夫も自分のからだについて権利を持ってはおらず、それは妻のものです。
5,互いに相手を拒んではいけません。
僕らは弱いもので、すぐに目の欲、肉の欲に流されサタンの誘惑に負けがちです。だからこそ日々神様にささげ、同時に夫や妻を愛しささげる必要があります。結婚は弱い僕らを守ってくださる神様の方法でもあります。
(2)
淫らな行いを避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。
(5)
互いに相手を拒んではいけません。ただし、祈りに専心するために合意の上でしばらく離れていて、再び一緒になるというのならかまいません。これは、あなたがたの自制力の無さに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑しないようにするためです。
(9)
しかし、自制することができないなら、結婚しなさい。欲情に燃えるより、結婚するほうがよいからです。
結婚は神様への献身の表れですが、独身もまた神様への献身の表れです。実は、結婚以上に独身の素晴らしさを聖書は強調しています。独身として神様にだけ自分をささげる素晴らしい賜物が与えられる人もいます。
(7-9)
7,私が願うのは、すべての人が私のように独身であることです。しかし、一人ひとり神から与えられた自分の賜物があるので、人それぞれの生き方があります。
8,結婚していない人とやもめに言います。私のようにしていられるなら、それが良いのです。
9,しかし、自制することができないなら、結婚しなさい。欲情に燃えるより、結婚するほうがよいからです。
独身の賜物が与えられている人は、性的な交わりがなくても神様に自分のからだをささげることができ、神様と兄弟姉妹を愛し愛されることからブレない素晴らしい人です。パウロは「すべての人が私のように独身であること」を願っています。その人はフルタイムで主のことに心を配る素晴らしい人です。「独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。」(7.32)「独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配ります」(7.33)「結婚しない人はもっと良いことをしている」(7.38)とさえ聖書は言います。
結婚するにしても、しないにしても、目的は神様のからだとして自分を手放し、ささげることです。そこに優劣はありません。既婚者はますます自分を主にささげ、相手にささげましょう。独身者もまた、ますます主の花嫁として献身しましょう。僕らのからだは神様のものです。オーナーは神様になりました。ハレルヤ!
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