2023年8月1日火曜日

1コリント16.13-24

 1コリント16.13-24


聖書は「一切のことを、愛をもって行いなさい。」と言います。(14)愛は自分からは出ません。愛はイエス様の御霊の現れです。自分を手放し捨てることによって、御霊の愛は現れやすくなります。自分には無理だと認め、心も体も使ってもらうために手放すだけでOKです。よくわからない方は「どうぞこの心も体も時間も自由に使ってください。自分の思い通りにならなくていいです。」と祈るのがお勧めですです。



(1コリント13.4-6)

4,愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

5,礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、

6,不正を喜ばずに、真理を喜びます。



御霊がくださる愛は人を受け入れ、歓迎し、相手の欠点を考えません。御霊に満たされている人と話すと安心します。裁かないし、愛と喜びで受け入れてくれるからです。評価や罰を与えようとする人と会うと恐れます。愛の人と会うと安心します。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。」(1ヨハネ4.18)


人がコワイ、避けたい、と思う人は自分に聞いてみましょう。何を恐れているのか。どのような裁きを受けると思っているのか。愛は恐れを締め出します。神様は僕らは愛し喜んでおられます。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(マルコ1.11)と言われる天のお父さんの愛が僕らにも注がれています。(ヨハネ15.9、ローマ5.5など多数)御霊の愛は僕らが互いに愛することに現れます。パウロは兄弟姉妹から愛されることで安らぎました。それは御霊の愛の現れでした。



(17-18)

17,ステファナとポルトナトとアカイコが来たので、私は喜んでいます。あなたがたがいない分を、彼らが埋めてくれたからです。

18,彼らは、私の心とあなたがたの心を安らがせてくれました。このような人たちを尊びなさい。



教会は御霊が現れるところです。アジアの諸教会はコリント教会の皆さんに「よろしく」と伝えました。挨拶することは相手を喜び、受け入れていることの表明です。当時は口づけが挨拶の表現でした。義務ではなく、神様の愛の現れです。これを聖書は「聖なる口づけ」と言います。僕らの愛でなく、御霊の現れです。



(19-20)

19,アジアの諸教会がよろしくと言っています。アキラとプリスカ、また彼らの家にある教会が、主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。

20,すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。



御霊は安心したコミュニケーションを作ります。もし恐れや不安があるなら、聖霊の愛よりも人を大きく見るからです。相手に傷つけられるのも、忍耐するのも御霊の愛です。「恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」(1ヨハネ4.18)自分には無理だと認めましょう。心も体も御霊に使ってもらうために手放しましょう。御霊はもう与えられています。それを表さないようにするのは肉です。肉は自分で頑張ろうとして疲れます。「どうぞこの心も体も自由に使ってください。自分の思い通りにならなくていいです。」と祈りましょう。聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5.5)ハレルヤ!




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