士師記12章
自分こそ王様、とは言わなくても、心の中では思い通りに周りを動かしたいものです。自分の知らないところで周りが動くと「聞いてない。勝手に決めるな。」と思いがちです。高ぶりはいつも付きまといます。自分の許可のもと、支配のもとに周りは動くべし、と思いたいものです。悪魔の誘惑は「あなた方は神のようになれる」でした。(創世記3章)今も同じく、僕らは権威と栄光を自分のものにしたがります。周りを下に置いて自分の計画とコントロールのもとに動かしたいのです。
イスラエルが敵アンモンから勝利し守られたことは神様の恵みです。でも、エフライム族は自分たちが呼ばれないで勝利したことが気に入りませんでした。ウチらの許可を得ず勝手に戦った、と怒り、「あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」と脅します。
(1-3)
1,エフライム人が集まってツァフォンへ進んだとき、彼らはエフタに言った。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」
2,エフタは彼らに言った。「かつて、私と私の民がアンモン人と激しく争ったとき、私はあなたがたに助けを求めたが、あなたがたは彼らの手から私を救ってくれなかった。
3,あなたがたが救ってくれないことが分かったので、私はいのちをかけてアンモン人のところへ進んで行った。そのとき、主は彼らを私の手に渡されたのだ。なぜ、あなたがたは今日になって、私のところに上って来て、私と戦おうとするのか。」
エフタを勝利させてくださったのは神様が特別にエフタに力を与えてくださったからです。神様だけが力であり支配者です。しかし、エフライムは「ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべき」と言います。ウチらの下で、ウチらの許可をとって動くべき、ということです。彼らにとって大事なのは神様よりも自分の権力やプライドでした。
(4)
4,エフタはギルアデの人々をみな集めてエフライムと戦った。ギルアデの人々はエフライムを打ち破った。これは、エフライムが「あなたがたはエフライムからの逃亡者だ。ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべきだ」と言ったからである。
エフタもまたプライドに支配される弱いただの人です。エフライムからのクレームに対して怒り、復讐し、徹底的に虐殺します。高ぶりという弱さによってイスラエルの中に内戦が起り大損害をもたらしてしまいました。
(5-6)
5,ギルアデ人はさらに、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取った。エフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言うとき、ギルアデの人々はその人に、「あなたはエフライム人か」と尋ね、その人が「そうではない」と答えると、
6,その人に、「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺した。こうしてそのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。
他人の成功が妬みや恨みを呼び起こし、それが大きな争いに発展することがあります。会社でも、家でも、教会でもよくある話です。問題の根は僕らの中にある神になりたい、支配者になりたい高ぶりの罪がです。神ではなく自分に栄光を与えたいのです。今日、気に入らないことがあったらそれは僕らの罪を教えてくれています。イラっとしたら、面白くない、と思ったらチャンスです。「偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。」とイエス様は言われます。(マタイ20.26)その不満に高ぶりやプライドがあることをましょう。神様だけが王であり自分はしもべであることを認め、告白しましょう。高ぶりは悔い改めの祈りをするチャンスです。「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」(ガラテヤ5.1)「罪はあなたがたを支配することがない」と聖書は言います。(ローマ6.14)今日も僕らが王座を降りますように。支配と力と栄光は永遠に神様だけにありますように。ハレルヤ!
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