2023年8月7日月曜日

士師記3章

 士師記3章


仕事のスキルも人間関係も経験を重ねるにつれて、自分でできることは増えていきます。ですが、自分でできる、分かる、と思うと単純に「神様助けて!」と言わなくなりがちです。イエス様は「子どものように神の国を受け入れる者でなければ」と言われます。(マルコ10.15)神の国とは神様の権威や支配のことです。「権威」とか「支配」と聞くとイヤーな印象を持ちますが、神様の国は抑圧されたり搾取されたりする世界とは真逆で、愛と祝福と平安が与えられ満ちている世界です。イスラエル人たちは何度も神様を裏切って偶像礼拝に陥り、その結果、敵国に搾取され苦しみ叫びます。良かれと思って妥協した結果が搾取と抑圧です。彼らは叫びます。その叫びが人の知恵や方法に向くのでなく、真っ直ぐに神様に向いたときに助けは与えられます。神様が僕らにおっしゃっていることはシンプルです。「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7.7)



(5-11)

5,イスラエル人は、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のただ中に住み、

6,彼らの娘を自分たちの妻とし、また自分たちの娘を彼らの息子に与えて、彼らの神々に仕えた。

7,こうしてイスラエルの子らは、主の目に悪であることを行い、彼らの神、主を忘れて、もろもろのバアルやアシェラに仕えた。

8,主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡されたので、イスラエルの子らは八年の間、クシャン・リシュアタイムに仕えた。

9,イスラエルの子らが主に叫び求めたとき、主はイスラエルの子らのために一人の救助者を起こして、彼らを救われた。それはカレブの同族ケナズの子オテニエルである。

10,主の霊が彼の上に臨み、彼はイスラエルをさばいた。彼が戦いに出て行くと、主はアラムの王クシャン・リシュアタイムを彼の手に渡されたので、彼の手はクシャン・リシュアタイムを抑えた。

11,国は四十年の間、穏やかであった。



イスラエル人たちは周辺国とモメるよりも同化して宗教的にも妥協する方が得策と思ったようです。そして「彼らの娘を自分たちの妻とし、また自分たちの娘を彼らの息子に与え」ました。(6) しかしそれは「彼らの神、主を忘れて」(7)です。本当に国に平和や安定を与えてくださるのは人智を遥かに超えた神様です。僕らが思う判断と神様の判断は天と地ほど違います。神様は「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」言ってくださってます。(エレミヤ33.3)


神様の愛と救いを体験した時は感謝するのですが、安定すると神様のすごさも感謝も忘れるのは僕らのパターンです。イスラエル人たちは国が安定すると再び神様を忘れてしまいます。その結果また偶像礼拝に陥り、敵に搾取され苦められます。そのように苦しみを与えるのは神様です。「そこで主はモアブの王エグロンを強くして、イスラエルに逆らわせた。」とあります。(12)苦しむことで神様を思い出し、また神様に叫び求めやすくするためです。



(14-15)

14,こうして、イスラエルの子らは十八年の間、モアブの王エグロンに仕えた。

15,イスラエルの子らが主に叫び求めたとき、主は彼らのために、一人の救助者を起こされた。ベニヤミン人ゲラの子で、左利きのエフデである。



僕らの苦しみは神様にシンプルに助け求めるために与えられたチャンスです。「心の貧しい者は幸いです。(…中略…)悲しむ者は幸いです。」(マタイ5.3-4)主を求めるからです。僕らの祈りを聞いてくださるイエス様がおられます。神様を求めるための貧しさ、苦しみ、悲しみです。単純に、まっすぐ求めましょう。「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4.12)今日も子どものように、単純に求める日です。求めましょう。必ず与えられます。ハレルヤ!

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