2023年8月9日水曜日

士師記5章

 士師記5章


献身者とは神学校を出た人ではありません。牧師や宣教師になった人でもありません。自分を主に明け渡した人です。神様にとって僕ら教会は愛する妻とか、木と枝とのように一つとか、かしらと体の部分とか、親友とか、愛する兄弟とか、御霊の宮とか、いろんな言い方で「一つになりたい!」と願っておられることがわかります。イエス様の祈りは「わたしがあなた(神様)のうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。」です。(ヨハネ17.21)それで、僕らが神様を愛して自分の体や心を明け渡すことこそが神様の喜びであり願いだとわかります。


預言者デボラとバラクは喜んで歌います。一番嬉しかったことはイスラエルの人たちが神様に身をささげて神様と一緒に敵と戦ったことです。



(1-3)

1,その日、デボラとアビノアムの子バラクは、こう歌った。

2,「イスラエルでかしらたちが先頭に立ち、民が進んで身を献げるとき、主をほめたたえよ。

3,聞け、王たち。耳を傾けよ、君主たち。私、この私は主に向かって歌う。イスラエルの神、主にほめ歌を歌う。



イスラエル人たちは、神様の声を聞いて自分を神様にささげるために戦いに出て行きました。その心を与えてくださったのは神様です。彼らは神様と一緒に戦い、圧倒的な神様の力によって勝利しました。あらゆる部族が神様に身をささげるために出てきたことがすでに勝利のイントロでした。



(12-14)

12,目覚めよ、目覚めよ、デボラ。目覚めよ、目覚めよ、歌声をあげよ。起きよ、バラク。捕虜を引いて行け、アビノアムの子よ。

13,そのとき、生き残った者は貴人のように下りて来た。主の民は私のところに勇士のように下りて来た。

14,エフライムからはその根がアマレクにある者が下りて来た。ベニヤミンはあなたの後に続いてあなたの民のうちにいる。マキルからは指導者たちがゼブルンからは指揮を執る者たちが下りて来た。

(…中略…)18,ゼブルンは、いのちを賭して死をいとわぬ民。野の高い所にいるナフタリも。



ゼブルンもナフタリも神様のために死ぬ覚悟で参戦しました。これこそ天の喜びです。神様は人間を使わなくても敵を滅ぼすことができます。でも、人間が愛ゆえに神様に自分を献げ、一緒に戦うことが神様の願いです。この戦いと勝利は神さまの勝利でした。神様はすでに勝っています。あとは僕らがそれを信頼して参戦するのを待っておられるだけです。彼らは命を捨てて、知恵と力を尽くして戦いましたが、実は100パーセント神様の力だし、天の使いたちの戦いでした。聖書は天使のことを「星」と表現します。



(20-22)

20,天から、もろもろの星が下って来て戦った。その軌道から離れて、シセラと戦った。

21,キション川は彼らを押し流した。昔からの川、キション川が。わがたましいよ、力強く進め。

22,そのとき、馬のひづめは地を踏み鳴らし、その荒馬は全力で疾走する。



反対に、神様にとっての悲しみは神様につながらない人たちです。この戦いを傍観し、安全圏内から出ず、助けに来なかった人たちのことを聖書は悲しみ呪っています。



23

主の使いは言った。『メロズをのろえ、その住民を激しくのろえ。彼らは主の手助けに来ず、勇士たちとともに、主の手助けに来なかったからだ。』



彼らはテレビでも見るかのように怠惰な気持ちで傍観していたのかもしれません。もしかしたら戦いについて批判し、笑っていたのかもしれません。恐れて

どちらが得策か必死に計算していたのかもしれません。主の使いは彼らを深く怒り、呪いの言葉すら口にします。「メロズを呪え、その住民を激しく呪え」!と。


妻が夫を信頼し尊敬し愛し身をささげることは夫の喜びです。逆もまた同じです。神様にとっての喜びは僕らが身をささげることです。神様を信頼してこの身を使ってもらうことです。「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」(ローマ12.1)その時に、神様の圧倒的な力と栄光は現されます。そして、そのように献身した人にも主の祝福と栄光が与えられます。イスラエルが献身したとき、国は平安を得、ささげた人たちにも栄光と祝福が与えられました。



(31)

このように、主よ、あなたの敵がみな滅び、主を愛する者が、力強く昇る太陽のようになりますように。」こうして、国は四十年の間、穏やかであった。



献身者とは神学校を出た人ではありません。牧師や宣教師に任命された人でもありません。自分を主に明け渡した人です。イエス様は言われます。「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイ10.38-39)


今日も明け渡しましょう。主の祈りを祈りましょう。御名が聖とされますように。神様の力が100パーセントになりますように。神様のご支配だけが全てになりますように。僕らが自分を手放し、明け渡し、神様のご計画の通りになりますように。ハレルヤ!




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