箴言21章
現代の日本に住んでるとあまりイメージが湧かないけど、古代の「王様」は絶対的な権力者で、彼が「死ね」と言ったら、すぐに殺されるそうです。そんなスゴイ暴君は見かけないかもしれないけど、でも、この人に逆らうのはムリだな、とか、この人のガンコさは変わらないな、とか、この病気は治らない、とか、この問題は解決できない、とか、僕らから見て「絶対ムリな状況や人」という相手はいます。それは自分かもしれません。
ところが、どんな状況であってもそれは神様はみこころのままにその向きを変えることができます。神様だけがどんな強い人も、こじれてしまった問題でも恨みも怒りも性格も変えることができます。
(1節)
王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。主はみこころのままに、その向きを変えられる。
だから、僕らは権力者も問題も恐れる必要がありません。むしろ、僕らが恐れるべきは主です。「主を恐れることは知識の初め」です。(1.7)神様が見ておられるのは、何をするかではなくて、僕らが主を恐れ、主を信頼するかどうかです。人間もベストを尽くしますが、でも、救いは主によります。神にとって不可能な事はありません。
(30節から31節)
どんな知恵も英知も、はかりごとも、主の前では無きに等しい。
戦いの日のためには馬が備えられる。しかし、救いは主による。
解決は人の努力とか行動ではありません。はじめにすべきことは心を整えることです。神様が見ておられるのは行動ではなく心です。
(2)
人には自分の歩みがみなまっすぐに見える。しかし、主は人の心を評価される。
心を整え、神様に信頼し、神様にゆだねていくことが最優先事項です。それが全ての出発点です。子どもみたいに信頼し、答えてくださる神様に直球で求めていくことです。解決は神様にあります。神様ご自身が何度も何度も「求めなさい」(マタイ7.7など多数)とおっしゃっています。「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。」(ヤコブ4.2)ジョン・ウエスレーは「神は祈りの答え以外には何事も行動されない」とさえ言っています。
神様だけが人間にはどうすることもできないこの世の悪を変えてくださいます。どんなに高ぶる人、怠ける人、嘘をつく人、暴力を振るう人がいても神様はその人を、自分を変えることができます。
(4節から8節)
4,高ぶる目とおごる心。悪しき者のともしびは罪。
5,勤勉な人の計画は利益をもたらし、すべて慌てる者は損失を招くだけだ。
6,偽りの舌をもって財宝を得る者は、吹き払われるもやのよう。死を追い求める者だ。
7,悪しき者たちは自らの暴力に引きずられる。公正を行おうとしないからだ。
8,罪人の道はねじれている。しかし、純粋な人の行いは真っ直ぐだ。
自分で対応するより前に、まず神様の義と恵みを求めるために時間をかけることです。神様の前に自分の心を注ぎ出し、痛みを悩みを告白し、手放し、恵みを求め、神様の癒しが実現することを信じて、解決することをイメージして信頼して求めることです。子どものようにです。確信を得るまで、です。イエス様は十字架の血によって僕らを完全に新しくしてくださいます。「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。」と聖書は言います。(ヤコブ1.6)自分によらず、イエス様によって勝利することができます。どんなに問題がこじれていても、神様がそれを崩し、変えてくださいます。
(21節から23節)
21,義と恵みを追い求める者は、いのちと義と誉れを見出す。
22,知恵のある者は勇士たちの町に攻め上り、その頼みとする砦を崩す。
23,自分の口と舌を守る者は、自分自身を守って苦難にあわない。
この世の権力者を変えることができる神様です。問題は僕らがそれを信頼し求めるかどうかです。主は人の心を評価されます。(2)救いは主によります。(31)信頼して神様のところに行きましょう。神様に求めましょう。まず、神様です。主はみこころのままに、その向きを変えられます。(1)ハレルヤ!
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