箴言24.1-22
苦しめられている人のニュースを見たり聞いたりするたび、僕らは悲しみ怒り、あっちが悪い、こっちが悪いと批判します。…が、神様は「悪を行うものに対して腹を立てるな」(詩篇37.1、7など)と繰り返します。神様が正しく裁かれるからです。
(19から20節)
悪を行う者に対して腹を立てるな。悪しき者を羨むな。
悪者には将来がなく、悪しき者のともしびは消えるからだ。
神様は僕らに文句を言うよりも苦しむ人を助けるようにと言われます。与えられている力や時間やお金は人を愛し助けるために神様から預かっているものです。
(11節から12節)
死に渡されるために捕らえられた者を救い出し、殺されようとしてよろめき歩く者を助け出せ。
あなたが「そのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それをご存じないだろうか。人の行いに応じて、報いをされないだろうか。
神様は僕らの心を見ておられます。偉くなって裁きの座についているのか、それともイエス様がすべてを手放してくださったのと同じように、隣人への愛と救いのために使うのか、です。温かい部屋で満腹しながら文句を言うのか、殺されていく人たちのため行動するのか、です。「知らなかった」と言うのか、ただ関わりたくないだけのかを問われます。
神の国の人は、「主よ、主よ」と言うだけではありません。手足を使い、お金と時間を使って、行動する人です。(マタイ7章20節など)難民となり苦しむカザの人たち、今も人質になっているイスラエルの人たちのため、預かっている力を使いましょう。大きいか小さいかは関係ありません。
神様は、僕らの心を評価しています。僕らの魂を見守っておられます。
すべての人が救われて、真理を知ることを願っておられます。
(17-18節)
あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、心躍らせてはならない。
主がそれを見て心を痛め、彼への怒りをやめられるといけない。
僕らの心が、力が、敵を憎みさばくことではなく、殺される人たちを憐れみ救うことに向きますように。
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