聖書が教える献金の喜び 2020.7.12
●献金に限らず、私たちの生活全部は神様への感謝であり、礼拝です。
仕事、食べること、寝る事など全部のことは自己中心的な罪を現わす機会にもなるし、神様への 賛美と感謝を現わす機会にもなります。同じように、お金の使い方は神様への感謝を現わす機会で す。買い物をすることも神様と人への感謝になります。そして、 献金することも神様への感謝に なります。もちろん、趣味や楽しみにお金を使うことも神様からの愛でありプレゼントです。
1テモテ 6:17 この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たより にならない 富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽し ませてくださる神に望み を置くように。
●宝のある所に心があります。
私たちのお金の使い方の優先度によって心の宝が分かります。 神様との関係を第一とすることは 神様の喜びです。神様は私たちが花嫁のように、からだのように、神様に愛される者となることを 願っておられます。
ルカ12:34
あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。
マタイ 6:24
だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方 を 重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕える ということは できません。
世の楽しみと欲のためにはお金を使い、余ったお金だけを神様にささげることは神様にとって悲 しみです。
マラキ 1:13
あなたがたはまた、『見よ。 なんとうるさいことか。』と言って、それを軽蔑する。 ・・ 万軍の主は仰せられる。・・あなたがたは、かすめたもの、足なえのもの、病気のものを 連れて来て、 ささげ物としてささげている。 わたしが、それをあなたがたの手から、喜ん で、受け入れるだろうか。
出エジプト 23:1
あなたの土地の初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない。 ●献金しないと神様は困りますか?
一切困りません。逆にすべての命、力、お金は神様が私たちに預けてくださっているものです。 神様が求めておられるのは、お金ではなく、神様との愛の関係です。献金は神様への愛と献身と 感謝の現 れです。
使徒17:25
また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありま せん。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。
1 歴代誌 29:14
まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進ん でささげる力を 保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手 から出たものをあなたにささげたにすぎません。
●どうしたら喜んで献金できるようになりますか?
神様のすばらしさ、大きさ、そしてその恵みを知るほどに神様への感謝と献身の気持ちは増えて いきます。
ホセア 6:6
わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。 全焼のいけにえより、むしろ神を知ること を喜ぶ。
●いくら献金したらいいでしょう?
大事なのは、金額よりも感謝と喜びがそこにあるかどうかです。 もし、感謝なしで献金するなら 神様は「耐えられない」とおっしゃいます。
イザヤ 1:13 もう、むなしい(意味のない)ささげ物を携えて来るな。 香の煙・・それもわ たしの忌みきらうもの。 新月の祭りと安息日・・会合の召集、不義と、きよめの集会、こ れにわたしは耐えられない。
2コリント 9:5-8
5どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意して おいてください。 6私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔 く者は、豊かに刈り取ります。 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもな く、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 8 神は、 あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべ ての良いわざにあふれる者とするた めに、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
●お金がたりないんですけど…
神様こそが私たちに必要なお金を与えてくださる方です。 この方にささげるて足りなくなること はありません。数字上は足りなくなっても、心には感謝と喜びが増えて行くと聖書はいいます。
2コリント9:10-12
蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふ やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 11 あなたがたは、あらゆる点で 豊かになって、惜しみなく与え るようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み 出すのです。 12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりで なく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。
マラキ 3:10-12
十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。 こうしてわたし をためしてみよ。 ・・万軍の主は仰せられる。・・わたしがあなたがたのために、天の窓 を開き、あふれるばかりの祝福を あなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。11 わたし はあなたがたのために、いなごをしかって、あな たがたの土地の産物を滅ぼさないように し、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。 ・・万軍の主は仰せられる。・・ 12 すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。 あなたがたが喜びの地とな るからだ。」と万軍の主は仰せられる。
マルコ 10:29
イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のた めに、家、兄弟、 姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、 30その百倍を受けない者はあり ません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の 中で受け、後の世では 永遠のいのちを受けます。
●教会の奉仕者や指導者を支える面があります。
旧約時代、レビ族は神様への礼拝の奉仕に直接仕える部族として選ばれ、この世の仕事をしませ んでした。彼らの生活は他のイスラエル人がささげものをする中から生活が支えられていました。 一方、他の部族は農産物や家畜の1/10 を神様にささげました。そのささげものによってレビ部族
は生活が養われていました。これは今の教会にも適用されています。献身して主に仕える人たちが この世の仕事に心を動かされることがないように、ただ神様を仰ぎ求め、神様からその糧を得て いくようにと 聖書は教えています。
(新約聖書「テモテ 5:17-18)
よく指導の任に当たっている長老(今の牧師の立場の人)は、二重に尊敬(報酬)を受け るにふ さわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。 聖書 に「穀物をこなしている牛に、くっこを掛けてはいけない。」また、「働き手が報酬を受 けることは当然である。」と言われているからです。
(新約聖書 「コリント 9:7)
いったい自分の費用で兵士になる者がいるでしょうか。自分でぶどう園を造りながら、そ の実を食べない者がいるでしょうか。羊の群れを飼いながら、その乳を飲まない者がいる でしょうか。
(1コリント 9:13-14)
あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずか ることを知らないのですか。同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから 生活のささえを得るように定めておられます。
神様はフルタイムで神様の仕事をする人を召されます。彼らの存在は、彼らが勝手にやっ てるの ではありません。神様の選びと、そして全員の神様への感謝のささげものがセットで用いられて います。 牧師や宣教師は一部の熱心な人だけのことではありません。私たち教会のメンバーがが 彼ら のために祈り、支える必要があります。彼らが嘆いて奉仕するのではなく、喜んで奉仕で き るようにと聖書は言います。神様は彼らの生活を守ってくださいます。そして、それは 教会が持 ち物を分け合うことです。
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