マタイ13.1-8
会社で仕事にトラブルはつきものだし、あって当然です。トラブルは問題なのではなくて、それにどのように対応するかが大事です。そして、それこそが仕事です。同じように、人生の問題が問題なのではなくて、嵐の中で神様の真実なことばを聞き分け、従うことが僕らに与えられている課題です。文句を並べて投げ出すのは答えではありません。みことばこそが嵐の中の「安全で確かな錨」です。(ヘブル6.19)人はパンだけでなく神のことばによって生かされ、永遠に祝福されるの方法は神様のことばを求め、喜び、聞き、従うことです。(詩篇1.2-3)
イエス様は「耳のある者は聞きなさい。」とおっしゃいました。(9)聞き、吸収し、従うつもりがある人は聞きなさい、という意味です。ある人は「言葉とは耳で聞くものではなく、肌から吸収され心に届くようなものである。」と言いました。そのように、イエス様のことばが全身に行巡り、自分のいのちそのものとなっていくような聞き方です。その人は祝福され実を結びます。聞いているようで聞いてない人もいます。目先の問題やトラブルばかりを大きく受け止め、神様のことばを小さくしててしまう人もいます。その人はまるで芽が枯れてしまうように成長することも実を結ぶこともありません。
(3節から9節)
3,イエスは彼らに、多くのことをたとえで語られた。「見よ。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
4,蒔いていると、種がいくつか道端に落ちた。すると鳥が来て食べてしまった。
5,また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
6,しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
7,また、別の種は茨の間に落ちたが、茨が伸びてふさいでしまった。
8,また、別の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍になった。
9,耳のある者は聞きなさい。」
イエス様はこの解説をしてくださいました。(18-23)蒔かれた種とは神様のことばです。蒔かれた場所とは僕らの態度や心です。鳥が種を食べてしまう事は、悪魔が神様のことばを奪ってしまうことです。岩地に蒔かれる事は、根が伸びずに神様のことばを吸収することができなくて枯れてしまう人のことです。茨の中に蒔かれた種とは、神様のことばよりも問題や誘惑ばかりを大きく見て、その情報ばかり吸収して枯れてしまう人のことです。問題が問題なのではなくて、問題の中でも神様のことばを聞き分け、根を伸ばして吸収することが最も大切です。
(23)
良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
今日も祈りましょう。心の目が開かれるように。(エペソ1.18)心の耳が開かれるように。「あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。」(16)いろんな情報が飛び交う中で、真実でいのちを与える神様のことばをを選びとることができ、それを吸収することができますように。「聞く耳のある人は聞きなさい。」(9)です。求める人に与えられると信じます。聞く耳が与えられますように。
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