2024年1月4日木曜日

マタイ4.1-11

 マタイ4.1-11 


甘やかされた子どものように、わがままな王様のように、僕らはイヤなことは排除し、欲しいものを手に入れ、おいしいものを食べ、好きな人だけと話し、エンタメで心を満たそうとしがちです。


悪魔もそうさせようと頑張っています。神様以外で幸せを得させよう、欲望を満たすことに心を向けさせようとします。満足させ、神様を忘れさせ、この世が全てだと思わせることは悪魔の願いです。この誘惑はイエス様も受けられました。ですが、完全に勝利されました。イエス様の勝利は僕らのお手本です。僕らも同じように勝利することができます。まず、神様である御霊はイエス様を何もない荒野に連れて行き、40日の断食に導かれました。この断食と悪魔との戦いは最初から御霊のご支配と導きの中にありました。



(1-2節)

1,それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。

2,そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。



断食する事は、生きるために必要な食べ物を断つことです。これは、人のいのちは食べ物に依存しているのでなく、神様によって生かされていることを明らかにするための方法です。そして、生きることも死ぬことも神様のご支配の中にあることを明らかにするためです。自分を捨てて、いのちを神様に預けるためです。



(3-4節)

3,すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」

4,イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」



神様が「光よあれ」と言われたら光ができます。そのように、僕らの存在の全ては神様のことばに依存しています。神様の許可の中で生まれ、神様の決められた時に死にます。断食することは、全てが神様によっていることを明らかにするための方法です。いのちは神様の御手の中にあります。存在のすべてが神様に依存していることを明らかにし、神様に完全に明け渡すのが断食の目的です。


悪魔は神様ではなく、まずは食べ物のために動くように、食べ物のために権威を使うようにと誘惑します。イエス様は完全に勝利されました。イエス様は神様のことばの権威によってだけ生きていることを宣言されました。断食は苦行ではなく、神様だけに依存していることを確認する恵みの方法です。これは僕らも同じです。


神様のことばは権威があり、人を生かすいのちのことばです。…ですが悪魔はその権威あることばを自分のために「利用」するように誘惑します。自分が上で、神様のことばは自分に仕えるもの、利用できるもののように上下を逆にさせようとします。



(5-7)

5,すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、

6,こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」

7,イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」



神様のことばの権威を落とし、自分に役に立つかどうかのレベルに下げようとするのが悪魔の誘惑です。人を王様にさせ、神様を下にしようとします。まるで神様がしもべのようです。確かに神様は僕らを助けてくださいます。が、しもべではありません。賛美され、栄光を受けるのが神様です。僕らは神様のことばの前にひれ伏し、感謝し、あがめ、従うように作られています。神様を「利用」したり「試しに使ってみる」という立場ではありません。


悪魔の本当の目的は自分が神様のように礼拝されることです。

悪魔はイエス様に自分を礼拝するように提案しました。礼拝とはひざまづき、ひれ伏すことです。イエス様が悪魔にひれ伏すなら、引き換えにこの世の権力と栄華で満たしてあげようと言います。ですが、イエス様の答えは「下がれ、サタン」です。礼拝されるべきお方はただお一人です。



(8-10節)

8,悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、

9,こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」

10,そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」



悪魔はイエス様にしたと同じように僕らを誘惑します。

勝利の方法はみことばを聞き、宣言し、従うことです。


断食も勝利の助けになります。世の力に頼らなくなるからです。食べ物で生きるのでなく、この世の力とかお金で生きているのではないことをリアルに体験できます。信仰の先輩たちはみんな一定期間の断食をして神様にいのちを預ける経験をし、神様への信頼が強くされています。


一定期間、何か手放してみましょう。断食してみましょう。それは苦行ではありません。いかに僕らが他に頼って生きようとしているのか、満たされようとしているのかがわかります。知り合いの宣教師は、40日の断食をしてみました。それは祝福された時間で、経験してみたら、くだらない動画に時間を過ごす事を全く興味がなくなったそうです。


もう一度神様に戻りましょう。神様の前にひれ伏しましょう。全てを手放しましょう。人はパンだけで生きているのではありません。神の口から出る一つ一つのことばで生かされています。ハレルヤ!





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