2024年1月18日木曜日

マタイ9.1-13

 マタイ9.1-13


聖書は繰り返して言います。「主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。」(詩篇103:8など多数)神様は裏切られても、相手が悪くても、時間がかかってもあきらめない方です。その愛は、「何回まで赦すべきでしょうか」という質問に「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまで」とおっしゃる憐れみです。ちなみに、七度の七十倍までとは490回ではなく、完全に、ずっと、という意味です。(マタイ18.22)イスラエルの先祖ヤコブという人はずるくて人をだますような人でした。それでも神様は彼を愛し続け、祝福の約束を果たしてくださいました。これが神様の真実な愛であり憐れみです。イエス様はそれをこの地上で、具体的に行動で表してくださった神の子です。



12-13節)

12,イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。

13,『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」



「真実の愛」とは憐れみです。相手が悪くても忍耐し、教え続け、赦し続ける愛です。僕らもそうやって今日も愛されています。そして、次は僕らの番です。イエス様の力によって僕らも罪人を憐れみ愛することは神様の喜びです。


反対に「私は正しい」と言って他人をさばき、見下すことは神様の悲しみです。当時の律法学者たちは「自分は律法をちゃんと守っている」ということが自慢になり人を裁いてしまっていたようです。



(9-11節)

9,イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。

10,イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。

11,これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。



パリサイ人たちは、聖書が教える神様の真実の愛を忘れていました。

イエス様は見える形になってくださった神様の愛の現れです。天から口だけトップダウンで教える方でなく、へり下って人間となり、汚れて争いと悲しみに満ちている地上に来てくださり、リアルに取税人たちや罪人たちや遊女たちを招き一緒に食事をしておられました。イエス様は「正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」(13)


罪を許す(許可すること、認めること)と、罪を赦す(失敗を責めないこと)は全然違います。イエス様は罪を許容する方ではありません。でも赦して失敗を責めない方です。その力はその人を内側から変えます。嵐を静める権威、悪霊を追い出す権威、病気を治す権威があるのと同じように、罪を赦し、取り除く権威はイエス様のものです。イエス様は罪人を恐れることがありません。彼らから罪を取り除く権威があるからです。「神が御子(イエス様)を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるため」です。(ヨハネ3.17)



(1-9節)

1,イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。

2,すると見よ。人々が中風の人を床に寝かせたまま、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われた。

3,すると、律法学者たちが何人かそこにいて、心の中で「この人は神を冒瀆している」と言った。

4,イエスは彼らの思いを知って言われた。「なぜ心の中で悪いことを考えているのか。

5,『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。

6,しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、それから中風の人に「起きて寝床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。

7,すると彼は起き上がり、家に帰った。

8,群衆はそれを見て恐ろしくなり、このような権威を人にお与えになった神をあがめた。



どんなに凝り固まった罪人でも、罪に依存し自分で抜け出せなくなった人でも、イエス様は見捨てることがありません。むしろそのような人を招いてくださいます。これが神様の真実の愛、憐れみです。


イエス様の御霊を頂いた僕らも、イエス様の名(権威)によって同じようにしなさいと言われます。「さばいてはいけません」「愛しなさい」「赦しなさい」です。もちろん、罪は忌み嫌うべきものです。(ユダ1.23)ですが、「罪を憎んで、人を憎まず。」です。


これはイエス様のなさることです。これこそ神様が喜ばれる真実の愛です。自分の力ではできません。イエス様が僕らを今日も忍耐して憐れみと愛を与え続けてくださっています。そのイエス様の御霊が僕らに住んでいます。その力を僕らに与えてくださいます。だから、今度は僕らの番です。僕らは聖霊の宮です。イエス様によって愛しましょう。赦しましょう。招きましょう。ハレルヤ!



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