2024年2月9日金曜日

マタイ15.29-38

 マタイ15.29-38


心配してはいけません、とか、明日のことは思い煩わなくて大丈夫、という教えはすごく多いです。(マタイ6.25-34など)そして文字通りに心配せず単純にイエス様を信頼してる人たちの姿には驚かされます。ある時、大勢の群衆が障がい者を癒してもらうために山の上にいるイエス様のところまで行きます。歩行困難な人たちや盲人たちを連れての登山は何倍も時間がかかる大変なことです。それでも彼らはシンプルにイエス様を信じていました。たどり着けばきっと癒してくださると信じて登りました。期待と信頼と喜びが彼らの力でした。



29節から31節)

29,それから、イエスはそこを去ってガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして山に登り、そこに座っておられた。

30,すると大勢の群衆が、足の不自由な人たち、目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、口のきけない人たち、そのほか多くの人をみもとに連れて来て、イエスの足もとに置いたので、イエスは彼らを癒やされた。

31,群衆は、口のきけない人たちがものを言い、手足の曲がった人たちが治り、足の不自由な人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そしてイスラエルの神をあがめた。



最初は日帰りで、と思ったかも知れませんが、行ってみると女性と子どもを以外で4000人(38)総勢10000人以上の大行列です。その多くは移動困難な人たちと一緒で、帰宅できないことは予想できました。結局彼らは山中で二泊野宿をします。それでもイエス様とお会いし次々と癒されていくことに驚きと喜びと賛美がありました。結局三日目も飲まず食わずだったようで、群衆はかなりの空腹でした。計画性がなかったとも言えますが、ただイエス様の愛と憐れみだけを信じていた、まるで子どものような信仰です。そして、イエス様の方がこれ以上空腹なまま帰宅させないように、彼らに十分な食物も与えてくださいました。



32節から38節)

32,イエスは弟子たちを呼んで言われた。「かわいそうに、この群衆はすでに三日間わたしとともにいて、食べる物を持っていないのです。空腹のまま帰らせたくはありません。途中で動けなくなるといけないから。」

33,弟子たちは言った。「この人里離れたところで、こんなに大勢の人に十分食べさせるほどたくさんのパンを、どこで手に入れることができるでしょう。」

34,すると、イエスは彼らに言われた。「パンはいくつありますか。」彼らは言った。「七つです。それに、小さい魚が少しあります。」

35,そこで、イエスは群衆に地面に座るように命じられた。

36,そして七つのパンと魚を取り、感謝の祈りをささげてからそれを裂き、弟子たちにお与えになったので、弟子たちは群衆に配った。

37,人々はみな、食べて満腹した。そして余ったパン切れを集めると、七つのかごがいっぱいになった。

38,食べた者は、女と子どもを除いて男四千人であった。



僕らは明日のことを計算し、自分なりに大丈夫と思うまで動き出さない傾向があるようです。安全範囲だけを歩みたいと思います。でも、イエス様が願っておられるのは子どものような単純な信頼です。イエス様のところに向かうのが実は何よりも安全な喜びのある未来です。だからまず向かうべきはイエス様です。自分の計算や準備よりそれは確かです。食糧は準備できたか、お金はあるか、それも大事だけども、もっと大事なのはイエス様に「日ごとの糧を今日もお与えください」と祈ることです。(マタイ6.11)今日も病気が癒されるように、思い煩いや人間関係のトラブルが癒やされるように、癒しの力を持っている神様を信頼して祈りましょう。祈りは行動を生みます。祈りが物事を変えていきます。神様のあわれみと愛は尽きることがありません。カナン人の女性は自分には資格がないと知りながら、それでもイエス様の憐れみを信じて娘を癒してくださるように求めました。イエス様は「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」と言って娘を癒してくださいました。(28)


今日も心配事は尽きません。あれもこれも準備しなきゃ、と思います。でも一番大事な準備はイエス様に信頼し、イエス様の御もとに行くことです。み言葉を聞くこと、祈り、委ね、信じることを最優先にしましょう。信仰は力を生みます。祈りが行動を生みます。祈りは期待と喜びを生みます。神の国とその義をまず求めることです。そうすれば全て与えられます。(マタイ6.25-34)今日も大丈夫です。ハレルヤ!



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