2024年2月10日土曜日

マタイ16.1-12

 マタイ16.1-12


僕らはイエス様を信じることよりも理性で納得できる証拠を欲しがります。当時のパリサイ人たちやサドカイ人たちも同じでした。



1節)

パリサイ人たちやサドカイ人たちが、イエスを試そうと近づいて来て、天からのしるしを見せてほしいと求めた。



「しるしを見せてほしい」というのは、「あなたが何か偉大な力を見せてくれたら、あなたの権威を認めてやろう」と言う要求です。サドカイ人と言うのは、奇跡も、復活も、み使いも認めない人です。(使徒の働き23.8)そんな彼らに対してイエス様は「あなた方は、聖書も神の力も知らない」とおっしゃいました。(マタイ22.29) 彼らはイエス様に力とか証拠を要求します。つまり「怪しい」ということです。イエス様が願っておられるのは「信じること」です。「見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ20.29)



4節)

悪い、姦淫の時代はしるしを求めます。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」こうしてイエスは彼らを残して去って行かれた。



一方パリサイ人たちは、自分たちの権威のために、「私は律法をちゃんと守っている」という見えるカタチを重視していました。神様の愛や恵や力を信頼するのではなくて、自分の正しさや行いや頑張りで評価する間違いです。


弟子たちは、船に乗った時にパンを持ってこなかったことに気がつきました。すぐに誰のせいでこうなったかと議論を始めます。お前のせいだ、あの時こうしなかったからだ、という話し合いには「誰が正しいのか」というパリサイ人のような考えがあります。また、イエス様が4000人にパンを与えてくださった奇跡も力も認めないサドカイ人のような考えも入っていました。



5節から12節)

5,さて、向こう岸に渡ったとき、弟子たちはパンを持って来るのを忘れてしまっていた。

6,イエスは彼らに言われた。「パリサイ人たちやサドカイ人たちのパン種に、くれぐれも用心しなさい。」

7,すると彼らは「私たちがパンを持って来なかったからだ」と言って、自分たちの間で議論を始めた。

8,イエスはそれに気がついて言われた。「信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか。

9,まだ分からないのですか。五つのパンを五千人に分けて何かご集めたか、覚えていないのですか。

10,七つのパンを四千人に分けて何かご集めたか、覚えていないのですか。

11,わたしが言ったのはパンのことではないと、どうして分からないのですか。パリサイ人たちとサドカイ人たちのパン種に用心しなさい。」

12,そのとき彼らは、用心するようにとイエスが言われたのはパン種ではなく、パリサイ人たちやサドカイ人たちの教えであることを悟った。



少し前に7つのパンで4000人以上の人が満腹したばかりです。その少し前には5つのパンで5000人以上が満腹したばかりです。イエス様にとっては足りるか足りないかは問題ではありません。イエス様が問題視しているのは、イエス様を信頼せずに人間の理性とか計算を重視するサドカイ人的傾向、そして、自分の行いや正しさを主張するパリサイ人的な傾向です。


僕らにもこのパン種はあります。自分の力や自分の正義で物事を解決しようとします。イエス様が一緒にいて下さるこの大きさや安心は忘れてしまっています。その悪いパン種は膨らんで、人生全体にも周りにも教会にも悪影響を与えてしまいます。


今日もイエス様に信頼しましょう。イエス様がいれば大丈夫です。「パリサイ人たちやサドカイ人たちのパン種に、くれぐれも用心しなさい。」





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