1サムエル12章
人の知恵とか政治形態とかが全部悪いわけじゃないけど、もし神様を忘れて人の力で救われようとするならそれは罪だと聖書ははっきり伝えます。僕らは人間の力を求めすぎ、人の言葉を求めすぎのようです。神様に祈り求めもしない解決策は「役にも立たず、救い出すこともできない、空しいもの」とサムエルは断言します。
(21節)
役にも立たず、救い出すこともできない、空しいものを追う道へ外れてはならない。それらは、空しいものだ。
この時、イスラエルは神様に祈りもせずによその国の真似をして力のある王様を求めて言いました。「どうしても、私たちの上には王が必要です。そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」(8.19-20)神様を忘れて、祈りもなしに王様を求めることは罪であり悪であるとサムエルは指摘します。
(12節)
しかし、アンモン人の王ナハシュがあなたがたに向かって来るのを見たとき、あなたがたの神、主があなたがたの王であるのに、『いや、王が私たちを治めるのだ』と私に言った。
どんな小さなこともまずは神様に聞き、従うことが優先です。神様にホウレンソウです。先に人を求めるなら間違いであり罪だと聖書は繰り返します。主に祈ることと、世の力や人の知恵を求める事は正反対のように聖書は伝えています。主は祈りに答えてくださる方です。それをハッキリさせるために、サムエルは神様に雨と雷を求めました。しかもこの時期、小麦の刈り入れ時期は雨が降らないそうです。それでも、サムエルは主を求めて祈り求めました。神様により頼むことがどんなに大切なことかを人々に教えるためです。
(16-18節)
16,今、しっかり立って、主があなたがたの目の前で行われる、この大きなみわざを見なさい。
17,今は小麦の刈り入れ時ではないか。主が雷と雨を下されるようにと、私は主を呼び求める。あなたがたは王を求めることで、主の目の前に犯した悪が大きかったことを認めて、心に留めなさい。」
18,そしてサムエルは主を呼び求めた。すると、主はその日、雷と雨を下された。民はみな、主とサムエルを非常に恐れた。
降らない時期であっても主に求めるなら雨を与える神様を体験し、彼らは主を恐れました。主に祈り求めることの大切さを知ると同時に主を後回しにして王を求めてきた罪を知らされました。
(19節から21節)
19,民はみなサムエルに言った。「私たちが死なないように、しもべどものために、あなたの神、主に祈ってください。私たちは、王を求めることによって、私たちのあらゆる罪の上に悪を加えてしまったからです。」
20,サムエルは民に言った。「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行った。しかし主に従う道から外れず、心を尽くして主に仕えなさい。
21,役にも立たず、救い出すこともできない、空しいものを追う道へ外れてはならない。それらは、空しいものだ。
サムエル自身にとっても、祈りを優先するのは何よりも大切な事です。祈らないのは罪です。
(23節から25節)
23,私もまた、あなたがたのために祈るのをやめ、主の前に罪ある者となることなど、とてもできない。私はあなたがたに、良い正しい道を教えよう。
24,ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。
25,あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる。」
僕らは人間の力を求めすぎ、人の言葉を求めすぎのようです。まずは神様に求め、祈り、聞きましょう。祈るのをやめて、主の前に罪あるものとなることなど、とてもできません。
今日も、まず祈りましょう。絶えず祈りましょう。主こそ力ある王様です。ハレルヤ!
(ローマ12:12)絶えず祈りに励みなさい。
(エペソ6:18)すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
(エペソ1:16)あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。
(コロサイ1:9)絶えずあなたがたのために祈り求めています。
(1テサ5:17)絶えず祈りなさい。
(ヘブル13:15)御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。
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