エペソ6.1-9
イエス様は遠く雲の上にいるのではなく、神の家族の中におられます。教会の仲間を愛することはキリストに仕えることです。「私たちはキリストのからだの部分だからです。」(5章30節) 聖書は「人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」(6章7節)「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」と言います。(コロサイ人への手紙 3章23節)
夫を尊敬して従うことは、キリストを尊敬し従うことです。そして、妻を愛することはキリストを愛することです。キリストと教会の関係は、神の家族の関係に現れます。だから聖書は「教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」です。(5章24-25節)ふたりが一体となることは、キリストとそのからだである教会が一体となることの表れです。(5章31-32節)
同じように、神様が子どもたちを養い守り教えてくださいますが、それは親が子どもを愛し、子どもが親を尊敬し従うことに現れます。天から自動的にことばが降ってきたり教育したりするのではなく、親とか指導者が用いられます。親もキリストのからだの部分です。だから子どもたちは親を敬い従いなさい、と言われています。神様の愛と教育は親を通して注がれます。
(エペソ人への手紙 6章1~3節)
子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。これは正しいことなのです。
「あなたの父と母を敬え。」これは約束を伴う第一の戒めです。
「そうすれば、あなたは幸せになり、その土地であなたの日々は長く続く」という約束です。
もちろん親にも責任があります。自分の教えではなく、自分の力でもなく、神様のみことばによって、御霊によって、神様の愛によって子どもたちを教え守り育てることです。まるで神様の代理のようです。
(エペソ人への手紙 6章4節)
父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。
キリストとの関係は主人と奴隷の関係にも現れます。この当時は奴隷がいるのは普通のことでした。でも、神の家族となり、キリストのからだの部分となったしもべたちは、神様を愛するように喜んで主人を愛するように変えられます。
(エペソ人への手紙 6章5~8)
奴隷たちよ。キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。
ご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、キリストのしもべとして心から神のみこころを行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。
奴隷であっても自由人であっても、良いことを行えば、それぞれ主からその報いを受けることを、あなたがたは知っています。
神の家族の中にイエス様がおられます。「私たちはキリストのからだの部分だからです。」イエス様を愛し尊敬することは神の家族を愛し尊敬することです。子どもたちは主の子どもたちです。親も主のしもべです。神の家族を愛し仕えることは主に喜ばれています。神の家族を敬い、愛し、良いことを行えば、それぞれ主からその報いを受けます。今日も喜んで仕える御霊に満たされますように。ハレルヤ!
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