イザヤ47章
神様は愛するものを正しく叱り懲らしめます。災害も、人間関係の苦しみも、事故も病気も、すべては神様から離れてしまった結果です。神様はあらかじめそれを警告しておられました。神様が今日もそれを許容しておられるのは、僕らが悔い改めて神様のもとに帰るためです。神様は罪を犯して苦しむ人間を「ざまあみろ」とは思わず、まるで自分の苦しみのように一緒に苦しみ、憐れんでくださいます。
イスラエルは神様から離れ、偶像礼拝をし、その結果として懲らしめられバビロンに滅ぼされました。それは滅ぼすためではなく、悔い改めてもう一度回復させるためです。神様の愛と憐れみはなくなっていません。
ところが、懲らしめの道具として用いられたバビロンは高ぶり、まるで自分が神様になったかのように、女王様のようにやりたい放題です。イスラエルを懲らしめ、ひどく残酷な仕打ちをしました。神様はそのバビロンに対して復讐されます。
(イザヤ書47章1-3節)
1,「おとめ、娘バビロンよ。下って行って、土の上に座れ。娘カルデア人たちよ。王座のない地面に座れ。あなたはもう、優しい上品な女と呼ばれることはないからだ。
2,ひき臼を取って粉をひけ。ベールを取り去り、裾をまくってすねを出し、川を渡れ。
3,あなたの裸はあらわにされ、恥もさらされる。わたしは復讐をする。だれ一人容赦しない。」
バビロンは「自分たちだけは特別」と思ってやりたい放題だったようです。
(7-8)
7,あなたは『いつまでも女王でいよう』と考えて、これらのことを心に留めず、自分の終わりのことを思うことさえしなかった。
8,だから今、これを聞け。楽しみにふけり、安心して住む女よ。心の中で、『私だけは特別だ。私はやもめにはならないし、子を失うことも知らなくてすむ』と言う者よ。
(10)
10,あなたは自分の悪に拠り頼み、『私を見ている者はいない』と言う。あなたの知恵と知識、これがあなたを迷わせた。だから、あなたは心の中で言う。『私だけは特別だ。』
イスラエルは神様の愛する子です。神様がイスラエルを懲らしめるのは回復させるためです。父親が愛する子どもを叱り正しく生かそうとするのと同じです。ところがバビロンは違います。ただ高ぶり、憐れまず、イスラエルを汚し、侮辱し、苦しめました。神様はバビロンに復讐されます。
(イザヤ書 47章5~7節)
「娘カルデア人たちよ。黙って座り、闇に入れ。あなたはもう、国々の女王と呼ばれることはないからだ。わたしは、わたしの民を怒って、わたしのゆずりの民を汚し、彼らをあなたの手に渡したが、あなたは彼らをあわれまず、老人にも、ひどく重いくびきを負わせた。
あなたは『いつまでも女王でいよう』と考えて、これらのことを心に留めず、自分の終わりのことを思うことさえしなかった。
神様が人間に与える苦難にはいつも憐れみと愛が伴っています。神様は罪人を憐れむ方です。イエス様は罪人を愛し、その罪をご自分が引き受け、神の怒りと裁きを受けてくださるほどです。
(ローマ人への手紙 5章8節)
"しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。"
イエス様の愛と憐れみが僕らにも現れますように。僕らの心がイエス様の心と同じになりますように。
(マタイの福音書 5章7節)
"あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。"
(ルカの福音書 6章36節)
いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。
あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。"
(ヤコブの手紙 2章13節)
"あわれみを示したことがない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます。あわれみがさばきに対して勝ち誇るのです。"
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