イザヤ54章
人から責められたり、人との関係が悪くなって孤立したり、家族が壊れたり、僕たちの世界にはそのような恥や屈辱が満ちています。
ところが、そのように傷つき恥を受け孤立しているような人に対して、神様は「喜び歌え」「喜び叫べ」といいます。当時、子どもを産むことができず、夫に捨てられた女性は惨めな立場を強いられました。ところ、そのような女性が神様の妻となり、最高の祝福を受けます。本当の夫は絶対に見捨てることのない永遠の愛に満ちた神様です。
(イザヤ書 54章1節)
"「子を産まない不妊の女よ、喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ、喜び叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ。──主は言われる──"
神様は続けて何度も、あなたは恥じない、あなたは辱められない、あなたの恥は忘れ去られる、あなたの夫は神だから、と繰り返します。
(イザヤ書 54章4~5節)
"恐れるな。あなたは恥を見ないから。恥じるな。あなたは辱めを受けないから。まことに、あなたは若いときの恥を忘れ、やもめ時代の屈辱を再び思い出すことはない。
なぜなら、あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。あなたの贖い主はイスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれているからだ。"
もちろん、通過点としては苦しみがあります。でもその先には永遠に愛され続け、裁かれることがない平和と喜びが満ちています。それが神様の約束です。
(イザヤ書 54章6~8節)
"主はあなたを、夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、若いころの妻をどうして見捨てられるだろうか。──あなたの神は仰せられる──
わたしはほんの少しの間、あなたを見捨てたが、大いなるあわれみをもって、あなたを集める。
怒りがあふれて、少しの間、わたしは、顔をあなたから隠したが、永遠の真実の愛をもって、あなたをあわれむ。──あなたを贖う方、主は言われる。"
僕らは欠点だらけです。だから人との関係に苦しみ、孤立します。でも、正しさは神様から来るものであって、僕らの欠点とか長所短所とは関係がありません。
神様に受け入れられ愛される時、人が責め立てるどんな言葉も無意味になります。自分で自分を責めることも無意味です。逆に、僕らを攻撃する人は、神様によって滅ぼされます。神様が僕らの夫だからです。
(イザヤ書 54章17節)
"あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、あなたを責め立てるどんな舌も、さばきのときに、あなたがそれを不義に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。──主のことば。」"
「義」は神様からもらうものです。僕らは義とされています。他人がどんなに責めても、自分で自分を責めても、僕らは神様から永遠の愛で愛されています。喜びの子、愛される妻、平和の契約を結んだ民、義とされたものです。それ故、喜び歌い、喜び叫べ、と神様は言われます。僕らは恥を見ることがありません。ハレルヤ!
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