ルカ23.1-5
本音とタテマエは誰にでもあります。ユダヤ人指導者たちは立派な理由でイエス様を訴えましたが本音はイエス様の人気への妬み、自分らの立場が危うくなる不安、そして、イエス様への殺意です。でも、口では立派な理由で訴えます。タテマエは「国民を守るため、混乱させないため、そして、皇帝カエサルにきちんと納税させるため」の訴えです。
"集まっていた彼ら全員は立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。
そしてイエスを訴え始めて、こう言った。「この者はわが民を惑わし、カエサルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っていることが分かりました。」"
ルカの福音書 23章1~2節
聖書は彼らの本音を紹介しています。
"祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を探していた。彼らは民を恐れていたのである。"
ルカの福音書 22章2節
"ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである。"
マルコの福音書 15章10節
"あの者をこのまま放っておけば、すべての人があの者を信じるようになる。」"
ヨハネの福音書 11章48節
同じように僕らも口では立派な理由で意見しますが、本音は妬みだったり、恐れだったり、自己保身だったりします。
"しかし彼らは、「この者は、ガリラヤから始めてここまで、ユダヤ全土で教えながら民衆を扇動しているのです」と言い張った。"
ルカの福音書 23章5節
神様がご覧になっているのは心です。
神様の前では全てがさらけ出されています。(ヘブル4.13) 立派なことを言っても内側が汚れているなら神様に忌み嫌われます。(マタイ23.27)
気持ちを自分に聞いてみましょう。本当は妬みや怒りや不安があるなら認めて祈りましょう。イエス様にそれを告白するときに、必ずきよめてくださいます。(マタイ23.26、1ヨハネ1.9)内側の不安や憎しみが消えたならば、「私は立派ですよー」とアピールする必要がなくなります。
イエス様は人の罪の深さを知りながら、それによって苦しめられながら、ののしられてもののしり返すことをしませんでした。ただ、すべてをご存知の神様にだけ信頼して歩まれたからです。僕らも信頼しましょう、正しさは主張して作るものではなく、ただ、イエス様が内側から与えてくださるプレゼントです。今日も神様との正直な交わりの日でありますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿