2025年4月17日木曜日

ルカ23.26-43

 ルカ23.26-43


いじめの惨状を聞くたびに、「どうしてこんなことが…」と思います。人を欲望のはけ口にし、おもちゃにし、最後は見捨てて殺します。これはイエス様への侮辱と拷問も同じです。人々から傷だらけにされているイエス様の姿を見て、女性たちは泣き悲しみます。ところが、イエス様はおっしゃいます。「神様の怒りと裁きの日はもっと悲惨なことが起こるから、だから自分の罪のため、子どもたちの罪のために泣きなさい」とです。神様の裁きに耐えられないなら、子どもがいない方がマシです。



"民衆や、イエスのことを嘆き悲しむ女たちが大きな一群をなして、イエスの後について行った。

イエスは彼女たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい。

なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来るのですから。"

ルカの福音書 23章27~29節



裁きの日には山が崩れて下敷きになって死んだほうがマシと思うほどです。「そのとき、人々は山々に向かって『私たちの上に崩れ落ちよ』と言い、丘に向かって『私たちをおおえ』と言い始めます。」(30-31)

僕らは悲惨なニュースを見て「あいつが悪い、こいつのココが悪い」と裁き、身近な人たちのことも同じように裁きます。でも、嘆くべきは自分の罪です。

イエス様は自分を苦しめる人たちのために祈ります。

なぜなら神様の裁きはもっと悲惨なことが起こるからです。



"そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」。"

ルカの福音書 23章34節



裁き合うのがこの世界です。でもイエス様はそこに来られ、その罪を全部背負い、僕らが悲惨な裁きを受けないように、「彼らをお赦しください。」と祈り、今も祈って下さっています。



"もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。"

ヨハネの手紙 第一 2章1節



自分の罪を認める人は救われます。自分の罪を嘆く人は救われます。これが福音です。イエス様と一緒に十字架の処刑を受けた犯罪人は、自分のやったことを悲しみ、イエス様に懇願しました。彼は救われました。



"おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」

そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」

イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」"

ルカの福音書 23章41~43節



「あわれんでください」とお願いすることは救いです。その人は救われます。この犯罪人は何も良いことをしていないのに救われました。洗礼も受けていないし、礼拝もしてないし、何もしてません。ただ、死刑の途中に罪を認め、イエス様に願っただけです。イエス様は「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と言ってくださいました。イエス様だけが僕らの罪のために祈り、赦し、救ってくださる唯一の救い主です。


今日も祈りましょう。イエス様と一緒に、赦してください、と祈りましょう。イエス様に自分の罪も家族の罪も告白して憐れみを求めましょう。イエス様は今日も罪人の救いを祈って下さっています。だから僕らも祈りましょう。憐れんでください。赦してください。救ってください。イエス様にはできます。祈りましょう。

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