ルカ24.44-53
分厚くて1600ページもある旧約聖書をイエス様はめちゃくちゃ短く要約されました。それがこちらです。
"そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」
それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
あなたがたは、これらのことの証人となります。"
ルカの福音書 24章44~48節
旧約聖書に書かれている律法(このように生きなさい、のような内容)と預言(神様はこうおっしゃってて、こうなりますよ、のような内容)と詩篇(祈りや賛美)が全て実現しつつある時代に僕らは生きています。
しかも、イエス様を信じて聖霊をいただいた僕らは傍観者でなくて体験者です。イエス様が復活して今も一緒にいてくれることを体験しているし、罪が赦されたことも体験中だし、この福音が世界に広がりつつあることもリアルに体験しています。
イエス様は「あなたがたは、これらのことの証人となります。」とおっしゃいました。日本語で「証人」と言うと、「私は見ました」とか「私は聞きました」とかちょっと客観的で第三者的な感じがありますが、新約聖書の「証人(マルテュリア)」は体験者のニュアンスが強いそうです。「私は体験しました。」「私も赦されました」「イエス様は生きています。私はイエス様と今日も交わり語り合ってます」という体験者としての証人です。聖霊が与えられるとイエス様を体験している当事者になります。
この聖霊が与えられることを、イエス様は「力を着せられる」とおっしゃいました。変身するためにヒーローがスーツを着るとか、軍人が装備を着用するみたいな、そういう力のあるものを着せてもらうかのようです。そして、それが与えられると世界中にイエス様を伝える人に変えられます。
"あなたがたは、これらのことの証人となります。
見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」"
ルカの福音書 24章48~49節
"しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」"
使徒の働き 1章8節
僕らは聖霊によって世界中にイエス様のことを話す人になります。僕らが話すというよりも、聖霊によってイエス様と一緒に証言させてもらう人に変えられます。
分厚い旧約聖書は、ただの知識やお勉強ではなく、僕らにとっては体験そのものになり、毎日実現中のことになってます。「うまく伝えよう」とか「努力や意気込み」ではなくて、神様に出会い、赦され、変えられ途中である喜びが与えられ、その生き方や態度全体からにじみ出て、他の人たちに、そして全世界に伝わっていくのが聖霊の働きです。
あの分厚い旧約聖書は、世界中に救いの喜びが広がっていることが書かれています。
そして、それは実現中です。僕らも当事者として用いられていきます。ハレルヤ!
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