2列王16章
言葉を覚える時も、音楽を覚える時も、何かを覚えるには最初は真似からスタートします。同じように、悪いことも真似から始まります。アハズ王が偶像を拝み、悪魔に従う生き方をする時も真似から始まりました。赤ちゃんを殺して生贄とするような忌まわしい偶像礼拝も「異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて」するようになったとあります。
"アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、彼の神、主の目にかなうことを行わず、
イスラエルの王たちの道に歩み、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでした。
彼は高き所、丘の上、青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えた。"
列王記 第二 16章2~4節
心の中にはみんな神様に背きたい心(原罪)があるけど、それは具体的な悪いお手本を真似することで実行に移されます。みんなお手本を求めています。良いことであっても、悪いことでも、です。神様を知らない人は、世のお手本を求めます。国が攻撃されたときには、強い国をお手本にして頼ります。アハズ王は外国に攻撃されたときに、世界最強のアッシリアに助けを求めます。
"アハズは使者たちをアッシリアの王ティグラト・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から救ってください。」
アハズが主の宮と王宮の宝物倉にある銀と金を取り出して、それを贈り物としてアッシリアの王に送ったので、
アッシリアの王は彼の願いを聞き入れた。アッシリアの王はダマスコに攻め上り、これを取り、その住民をキルへ捕らえ移した。彼はレツィンを殺した。"
列王記 第二 16章7~9節
アハズ王はいつもこの世の強い国を求め、この世の美しいものや結果を出すものを求めました。ある時、ダマスコで見た異教の祭壇の美しさを見て、その真似をし、そっくりなものをエルサレムの神殿で作らせます。それを拝んでいたアラムが一時的にうまくいっていたように見えたからです。神様との関係がない人はいつもうわべだけを求めて何かを真似します。
"アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに会うためダマスコに行ったとき、ダマスコにある祭壇を見た。アハズ王は、祭壇の図面とその模型を、詳細な作り方と一緒に祭司ウリヤに送った。
祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから送ったものとそっくりの祭壇を築いた。祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから帰って来るまでに、そのようにした。"
列王記 第二 16章10~11節
僕ら人間は弱くて、見えるお手本が必要なようです。
だから聖書はイエス様をお手本としなさいと言います。へり下って足を洗い合い、苦しめられても忍耐するイエス様が模範です。
"わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。"
ヨハネの福音書 13章15節
"善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。
このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。"
ペテロの手紙 第一 2章20~21節
"神のうちにとどまっていると言う人は、自分もイエスが歩まれたように歩まなければなりません。"
ヨハネの手紙 第一 2章6節
イエス様こそお手本です。また、「イエス様をお手本にしようとしている人」を真似しなさい、とも言っています。
"私がキリストに倣う者であるように、あなたがたも私に倣う者でありなさい。"
コリント人への手紙 第一 11章1節
"兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。"
ピリピ人への手紙 3章17節
僕らには具体的なお手本が必要です。信仰と愛はイエス様をお手本にすることで実行に移されます。反対に、アハズ王は外部の魅力的なお手本(異教の国や祭壇)を真似して神様の祝福を失いました。
僕らは何をお手本にしているでしょうか。どんなに外見やその結果が魅力的でも、神様に従わないなら真似すべきではありません。「What Would Jesus Do?」「イエス様ならこんな時どうするだろう?」W.W.J.D.です。イエス様こそ最高の模範です。ハレルヤ!
 
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