1ペテロ2.18-3.12
布教とか伝道とかいうけど、神様が確かに生きて働いておられることの最高の伝え方は、口よりも行動のようです。それは「僕らの行動」ではなくて、僕らの中におられる「イエス様の行動」です。生きて働いておられるイエス様の体のように僕らを用いてくださいます。僕ら一人一人はキリストにつながる器官です。(ローマ12章、1コリント12章)
例えば、職場で意地悪な上司がいても、忍耐し、仕返しせず、善で返すことは,
イエス様の願いそのものだし、神様に喜ばれることだし、僕らを用いてそうさせてくださいます。それはイエス様が生きておられる証拠です。
"しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。
もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。
罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。"
ペテロの手紙 第一 2章18~20節
イエス様は生きています。イエス様こそ罪人を愛し、忍耐し、祝福を願い、神様の怒りと裁きを身代わりに引き受けて犠牲になってくださったお方です。そして今度は僕らもイエス様と一緒に相手のために忍耐する人にしてくださいました。
"このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。
キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。"
ペテロの手紙 第一 2章21~24節
意地悪な人のために忍耐し、赦し、祈り、犠牲を払うならそれは神様に喜ばれることです。これは結婚関係でも同じです。神様に従わない相手のために忍耐し、赦し、祈り、愛し、善を返すなら、相手はそこに神様が生きておられることを見ます。
"同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。
夫は、あなたがたの、神を恐れる純粋な生き方を目にするのです。"
ペテロの手紙 第一 3章1~2節
それは最大のそして最高に美しい飾りだと聖書は言います。キリストの美しさが僕らの行動に現れます。どんな宝石よりも価値のあるものです。
"むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。"
ペテロの手紙 第一 3章4節
僕らが追求し表したいのはイエス様の美しさです。イエス様の愛とか忍耐とか赦しとか、そのような美しさです。
"悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。
「いのちを愛し、幸せな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。
悪を離れて善を行い、平和を求め、それを追え。"
ペテロの手紙 第一 3章9~11節
神様が確かに生きて働いておられることの最高の伝え方は、口よりも僕らの行動のようです。
生きて働いておられるイエス様が今日も僕らの心も口も手足も用いてくださり、神様の愛と忍耐を美しく表してくださいます。ハレルヤ!
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