2025年12月3日水曜日

エレミヤ51.50 「エルサレムを心に思い浮かべよ」

 エレミヤ51.50 「エルサレムを心に思い浮かべよ」


神様は何度も「裁きがあるから、そこから脱出しなさい」と言われます。

エレミヤの時代も、そして今もそれは変わりません。



"わたしの民よ、その中から出よ。主の燃える怒りから逃れ、それぞれ自分自身を救え。"

エレミヤ書 51章45節



イスラエル人たちは本来、「神様の花嫁」「愛される妻」「神様の子どもたち」「宝の民」「契約の民」です。旧約聖書のあらゆる箇所で神様はそう表現します。この時代はエルサレムとその神殿が神様を愛し、神様に愛され、神様に自分をささげる場所でした。でも、彼らは裏切り、罪を犯し、エルサレムは汚され、破壊され、彼らはバビロンに捕囚にされていました。それでも神様はもう一度呼びかけてくださいます。「遠くから主を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。」(50)



"剣を逃れた者よ、行け。立ち止まるな。遠くから主を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。

『私たちは、そしりを聞いて、恥を見た。恥辱が私たちの顔をおおった。他国人が主の宮の聖所に入ったからだ。』"

エレミヤ書 51章50~51節



神様との聖なる交わりは汚されました。聖なる場所は破壊されました。でも、もう一度回復が呼びかけられています。神様に愛され、愛し、交わるため、喜び、喜ばれるために選ばれたことと、そのためのエルサレムであったことを思い出せ、です。「エルサレムを心に思い浮かべよ。」(50)エルサレムで愛し愛されるのが本当の姿だったはずです。だから神様の怒りで滅びるバビロンから脱出するように、「その中から出よ。主の燃える怒りから逃れ、それぞれ自分自身を救え。」(45)と言われます。これは新約聖書でも繰り返されるイメージです。僕らの本当の立場はキリストの花嫁です。女性のみならず、男性も、独身者も既婚者も関係なく、花嫁として神様との愛の交わりに入ります。それが天のエルサレムです。「天のエルサレムに入る」というよりは、神様の住まいと「一体化」するようです。



"わたしは、勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱とする。(…中略…)わたしは彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書き記す。"

ヨハネの黙示録 3章12節



クリスチャンを「神殿の柱とする」とは、神様の家そのものの一部分になることです。僕らの将来は「神様と一緒にいる」よりももっと強烈で「天のエルサレムの一部になる」「主の家そのものとなる」イメージです。そして僕ら一人一人には「神の御名」と「新しいエルサレムの名」が書かれています。


これは聖書の他の箇所でも繰り返されていて、「あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ」(1ペテロ2.5)「あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2.22)とあります。僕ら自身が神殿の素材です。そして黙示録では、花嫁が「天のエルサレム」そのもののように書かれています。



"私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。"

ヨハネの黙示録 21章2節



花嫁とキリストは完全に一つになります。教会は花嫁です。(エペソ5章、黙示録19章など)神様と僕らクリスチャンは一つになり、愛し合い、いのちも人生も共有します。エレミヤが「遠くから主を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。」(50)は時代を超えて僕らにも言われています。「あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い」です。(ヘブル12.22)天のエルサレムには喜びしかありません。



"私は主にあって大いに楽しみ、私のたましいも私の神にあって喜ぶ。主が私に救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。"

イザヤ書 61章10節


今日も天のエルサレムを目指して、喜びを先取りしちゃいましょう。誰でもキリストにあるなら、美しく飾られた花嫁、天のエルサレムの一部です。「私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。」(ヘブル13.14)「剣を逃れた者よ、行け。立ち止まるな。遠くから主を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。」(50)ハレルヤ!

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