2026年2月19日木曜日

民数記25章

 民数記25章

「ねたみ」は悪いことと思われがちだけど、正当な、愛するゆえの正しい「ねたみ」があります。例えば、妻が僕以外の男を恋慕っていたら、僕はねたみ、怒ります。

神様は「ねたむ神」です。「(偶像を)拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。」(出エジプト20.5)とあります。愛するイスラエルが偶像を愛し、しかも性行為までして、自分を相手に明け渡しているなら神様はねたみ、怒るのは当然です。


"イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと淫らなことをし始めた。その娘たちが、自分たちの神々のいけにえの食事に民を招くと、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。こうしてイスラエルはバアル・ペオルとくびきをともにした。すると、主の怒りがイスラエルに対して燃え上がった。主はモーセに言われた。「この民のかしらたちをみな捕らえて、主の前で、白日の下にさらし者にせよ。そうすれば、主の燃える怒りはイスラエルから離れ去る。」"民数記 25章1~4節


神様は怒り、「白日の下にさらし者にせよ。」と命令します。衝撃的な神様の怒りです。これとは別に24000人が疫病でバタバタと死んでいきました。神様の怒りりゆえです。そのように深刻な状況の真っ只中で、1人の男がヘラヘラと女性を連れてきて淫らなことを始めました。深刻な神の怒りの話をしている、その目の前で、です。「は?神とか別に関係ねーし」という感じです。それを見たピネハスも怒ります。淫らなことをしているテントの奥の部屋まで入り込み、その場で槍で刺殺しました。


"ちょうどそのとき、一人のイスラエル人の男がやって来た。彼は、モーセと、会見の天幕の入り口で泣いているイスラエルの全会衆の目の前で、一人のミディアン人の女を自分の兄弟たちに近づかせた。祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスはそれを見るや、会衆の中から立ち上がり、槍を手に取り、そのイスラエル人の男の後を追ってテントの奥の部屋に入り、イスラエル人の男とその女の二人を、腹を刺して殺した。するとイスラエルの子らへの主の罰が終わった。この主の罰で死んだ者は、二万四千人であった。"民数記 25章6~9節


僕らも「このぐらいはいいっしょ」と神様を馬鹿にし、甘く見ることがあります。偶像とは、刻んだ人形のようなものではなく、僕らが神様よりも慕い求めるものです。神様はねたみ、怒り、悲しむ方です。快楽を、モノやお金を、自分の欲望を偶像のように慕い求めることがあります。結婚が排他的な愛を求めるように、神様は僕らの献身を願っておられます。二股ではダメです。聖なる神様の命がけの愛の前で、ヘラヘラと罪を喜んでいる場合ではありません。

今日も僕らの中にある浮気心、偶像があることを認めましょう。正直に告白しましょう。もう一度神様に献身しましょう。神様はねたむ神様です。それは僕らが思う以上の、命がけの愛ゆえです。


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