ローマ10.9-11.12
イエス様の言葉を聞く→信じる→義(無罪)わかって救われる→希望が与えられる
イエス様の言葉を聞くといい循環しか生まれません。
聞いて信じることは希望を生みます。
"ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。"
ローマ人への手紙 10章17節
逆に、聖書の言葉を聞かないと、赦しも救いも信じることができません。その先は暗闇と絶望です
聖書の言葉は僕らを義としてくれます。僕らは無罪、まっさらです。神様がそう言ってくださいます。福音を聞いて信じることは救いであり、喜びであり、希望です。
"人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。"
ローマ人への手紙 10章10節
しかも、この希望は僕らを絶対に失望させません。
"聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」"
ローマ人への手紙 10章11節
イエス様の言葉を聞く→信じる→義(無罪)わかって救われる→希望が与えられる
…素晴らしい循環ですが、聞いても信じない人はいます。
「鈍い心」や「閉ざされた耳」があります。
特にイスラエル民族がそうだ、と聖書は言います。
イスラエルは、神様が愛している選びの民ですが、彼らはイエス様に不従順で反抗しています。「ユダヤ人たちは、主であるイエスと預言者たちを殺し、私たちを迫害し、神に喜ばれることをせず、すべての人と対立しています。」(1テサロニケ2.15)それでも神様はイスラエルを愛し、手を差し伸べ続けています。
"そして、イスラエルのことをこう言っています。「わたしは終日、手を差し伸べた。不従順で反抗する民に対して。」"
ローマ人への手紙 10章21節
イスラエル人の多くが頑固になり、イエス様を拒否し、神様に喜ばれることをしてないのは事実です。
…ですが、それでも希望はあります。今、彼らがイエス様を拒否し頑固にされているのは、先にイスラエル人以外の異邦人(例えば日本人)がイエス様を信じて救われるためです。
そのために神様が「鈍い心と見ない目と聞かない耳を与えられた」と書いてあります。
"では、どうなのでしょうか。イスラエルは追い求めていたものを手に入れず、選ばれた者たちが手に入れました。ほかの者たちは頑なにされたのです。
「神は今日に至るまで、彼らに鈍い心と見ない目と聞かない耳を与えられた」と書いてあるとおりです。"
ローマ人への手紙 11章7~8節
聞いても頑固になる人はいます。それも神様のご支配の中です。ガンコな人を無理やり変えようとしても無理です。人の力で信じさせようとするのは傲慢です。なぜなら神様が「彼らに鈍い心と見ない目と聞かない耳を与えられた」からです。
でも、だからと言ってイスラエルが見捨てられているのではありません。
中には神様の恵みによって、イエス様を信じるようにされた人もたくさんいます。
"ですから、同じように今この時にも、恵みの選びによって残された者たちがいます。
恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。そうでなければ、恵みが恵みでなくなります。"
ローマ人への手紙 11章5~6節
イエス様の言葉を聞く→信じる→義(無罪)わかって救われる→希望が与えられる
この循環に入るのは神様のおかげです。
人間の努力ではありません。神様の特別な選びであり、恵みです。感謝しましょう。今日もみことばを聞きましょう。読みましょう。希望が与えられます。ハレルヤ!
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