ローマ12.1-8
「あぁ今日の礼拝恵まれた」とか「礼拝イマイチだった」とか言います。僕らは「神様から何か欲しいー」と思って礼拝に出席することが多いです。ところが、聖書が教える礼拝は「受ける」のではなく「ささげる」「手放す」ものです。僕らが思う、ほしがる礼拝とは逆です。神様に自分の所有権を明け渡し、手放していくことが礼拝です。
引っ越してみたら前の人のモノとかカーペットとか変な匂いとか残っていると不快です。全部捨ててくれた方が使いやすいし、気持ちいいです。神様にとっても同じです。新しい所有者は神様です。心と体を全部明け渡すのが礼拝です。
"ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。"
ローマ人への手紙 12章1~2節
引っ越しの時には家のモノを一つも残さないように、壁の汚れも、床のシミも消すように、匂いも消すように、自分の考え、判断、願い、そういうものを全部手放して、イエス様のお気に入りの考え、計画に取り替えてもらうことが礼拝です。「自分を変えていただきなさい。」これが礼拝です。全取り替えです。
一旦空っぽにしても虚しく不安になったりすることはありません。
もっと素晴らしい、完璧で美しい神様の心が入ってきます。その結果「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」(2)心が神様の心になり、体が神様の体になっていきます。神様の願い通りの人に変えられます。どのように変えられて用いられるかは人それぞれです。
"私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、
奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、
勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。"
ローマ人への手紙 12章6~8節
僕らは神様のものとなりました。
もう自分が頑張ってるのではありません。イエス様がぶどうの木、僕らは枝です。「そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15.5)神様が根、僕らは接ぎ木された枝です。「根が聖なるものであれば、枝もそうなのです」(11.16)
変なこだわりや考えや計画が今日もしつこく残っているかもしれません。点検してみましょう。
オーナーは神様です。新しい所有者は神様です。心も体もささげましょう。
礼拝は「受ける」のではなく「ささげる」「手放す」ものです。全部神様のものです。ささげましょう。僕らの全部が神様のものです。ハレルヤ!
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