ローマ15章1節から13節
クリスチャン同士でも考えは違います。教会によって作法や文化も違います。
そんな違いを「受け入れられる人」と「受け入れられない人」のことを、聖書は「力のある者」「力のない人」と言います。「力のある者」は「こうじゃなきゃダメ!」と頑張る人ではありません。自分の考えを一旦手放して相手に合わせることができる人が「力のある者」です。
"私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。"
ローマ人への手紙 15章1節
お手本はイエス様です。すべての権威と自由を持っているイエス様はそれを手放し、へりくだり、権威も神様の立場も手放し、嘲けられ、バカにされ、笑われる囚人になってくださいました。
"キリストもご自分を喜ばせることはなさいませんでした。むしろ、「あなたを嘲る者たちの嘲りが、わたしに降りかかった」と書いてあるとおりです。"
ローマ人への手紙 15章3節
これはガマン大会ではありません。
イエス様は低くなられましたが、復活し、すべての栄光をお持ちです。
イエス様につながった僕らも自分を手放して弱い人たちに合わせることによって、イエス様と一緒に栄光を受けます。自分のプランや考えを手放す先にはイエス様と一緒に栄光受ける約束があります。
"子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。
今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。"
ローマ人への手紙 8章17~18節
この約束と励ましがあるから、僕らは自分の考えを手放すことができます。その結果は「一致と賛美」です。どちらかが自分を捨てることで両者は1つになり、心を合わせて神様を賛美するようになります。
"どうか、忍耐と励ましの神があなたがたに、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。
そうして、あなたがたが心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえますように。
ですから、神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。"
ローマ人への手紙 15章5~7節
「日曜日の礼拝はネクタイじゃなきゃだめ!」と思ってる人たちのためには、ネクタイをつけましょう。それによって一緒に賛美することができるからです。でも、この箇所はそんな軽い話ではありません。
2000年の歴史の中で、ユダヤ人たちは異邦人たちに攻撃され続けてきました。今でも周辺諸国との戦争は絶え間なく、憎しみと悲しみは膨らんでいくばかりです。それでも神様は、ユダヤ人と異邦人をを1つにしようとされています。普通は一緒に神様を賛美するなんてあり得ません。
そんな異邦人とユダヤ人がなんと一緒に神様を賛美する日がきます。これが神様のご計画です
"また異邦人もあわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。「それゆえ、私は異邦人の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います」と書いてあるとおりです。
また、こう言われています。「異邦人よ、主の民とともに喜べ。」
さらに、こうあります。「すべての異邦人よ、主をほめよ。すべての国民が、主をたたえるように。」
さらにまたイザヤは、「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方が。異邦人はこの方に望みを置く」と言っています。
どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。"
ローマ人への手紙 15章9~13節
イエス様の十字架のへりくだりに習うことは、どんなに敵対してきた相手であっても和解させ一致させることができます。そして、一緒に賛美する兄弟姉妹に変えてくれます。
だからまず、「自分がこだわってる好みや計画は何か?」自分に聞いてみましょう。そして、「これを手放します。」「違う相手を受け入れ愛します。」と祈りましょう。
この祈りは神様への賛美と栄光をもたらします。これが神様の願いでありご計画です。
ハレルヤ!
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