ローマ14章
教会の中でよく議論になったりモメたりする話題があります。
「教会がいつ携挙されるか?」とか、「異言の賜物どう思うか?」とか、「お酒を飲んでもいいのか?」とか、「礼拝スタイルどんなカタチがいいのか?」「イスラエルに対する教会の態度は?」他にもあります。そのような教会内での論争は聖書の時代にもありました。
特に問題になったのが食べ物と安息日のことです。
当時のクリスチャンの中には「肉は食べない、野菜しか食べない」人たちがいました。「ベジタリアンだから」ではなくて、信仰上の理由からです。
"ある人は何を食べてもよいと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。"
ローマ人への手紙 14章2節
肉を食べない理由がありました。この当時、いろんな宗教があってそれぞれ動物のいけにえをささげていました。そして、偶像にささげる肉は「いいお肉」だったそうで、普通に市場で売っていたそうです。今ならスーパーで「( )教団で使ったお肉A5ランク!ジューシーで最高!」ってポップで推してくるような感じかもしれません。
クリスチャンの中には、「別に気にしないっしょ!」って感じでカゴに入れる人もいるし、「偶像礼拝に使った肉はやっぱりちょっとムリ…」と思ってる人もいたようです。
問題は、「問題なし派」と「ムリ派」のクリスチャンが一緒に食事をする時です。食事の席でトラブルになることもあったようです。それで、聖書ははっきりと答えます。
"食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。"
ローマ人への手紙 14章3節
聖書はどちらが正しいかノーコメントです。唯一の答えは「お互いにさばくのをやめなさい」です。特にダメなのが「私は成熟しているクリスチャンです」みたいに相手を下に見る人です。
もう一つ、当時の教会でモメたのが安息日問題です。
"ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。"
ローマ人への手紙 14章5~6節
安息日問題は、今でも聖書的に「安息日は土曜日」なのか、それとも「日曜日を安息日として扱うべき」なのか議論があります。「いや、全部が主の日でしょ」と言う人もいます。
これも聖書の答えは明快です。
"ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。"
ローマ人への手紙 14章5節
聖書はどちらの味方もしていません。聖書の教えは食べるかどうか、どの日が大事か、ではなくて「考え方が違っても兄弟姉妹を愛しなさい」です。
"特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。"
ローマ人への手紙 14章6節
牧師とか神学議論好きがが一番危ないし厄介です。「議論」はいいけど「相手をさばく」「下に見る」のはダメです。僕らは上から目線になってしまいがちです。相手を愛している主人はイエス様です。聖書は「イエス様のしもべをさばくあなたは何者ですか?」と言います。(4)「考えの違うあの人」はイエス様の大事なしもべ、愛する子です。成長させてくださるのはイエス様です。僕らではありません。その人をイエス様は尊重してくださいます。
"他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。"
ローマ人への手紙 14章4節
大事なことは、争いを生み出したり、お互いの平和と成長に役に立たないような、相手をガッカリさせることを前面に出さないことです。
"こういうわけで、私たちはもう互いにさばき合わないようにしましょう。いや、むしろ、兄弟に対して妨げになるもの、つまずきになるものを置くことはしないと決心しなさい。"
ローマ人への手紙 14章13節
イエス・キリストの十字架と復活によって救われること、これは中心的な真理です。
でも、偶像にささげた肉を食べるかどうか、それで救いが決まるわけではないです。安息日をどう理解するかで救いが確定するのではありません。
もっと大事なのは、兄弟姉妹を尊敬し愛することです。愛がなければ全てはむなしい議論です。(1コリント13章)
"私は主イエスにあって知り、また確信しています。それ自体で汚れているものは何一つありません。ただ、何かが汚れていると考える人には、それは汚れたものなのです。
もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって歩んではいません。キリストが代わりに死んでくださった、そのような人を、あなたの食べ物のことで滅ぼさないでください。"
ローマ人への手紙 14章14~15節
イエス様が再臨されるタイミングの理解の違いで救われないとか愛されないという事はありません。もちろん食べ物や飲み物の違いも救いの条件ではありません。安息日理解も同じです。パウロは愛する兄弟姉妹のためには、相手をがっかりさせるようなモノは目の前におかない、と決めているようです。
"なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。
このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められるのです。
ですから、私たちは、平和に役立つことと、互いの霊的成長に役立つことを追い求めましょう。
食べ物のために神のみわざを台無しにしてはいけません。すべての食べ物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような者にとっては、悪いものなのです。
肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、あなたの兄弟がつまずくようなことをしないのは良いことです。
あなたが持っている信仰は、神の御前で自分の信仰として持っていなさい。自分が良いと認めていることで自分自身をさばかない人は幸いです。"
ローマ人への手紙 14章17~22節
もし食べ物とか飲み物とか安息日理解のことで、仲間を悲しませるなら、それは愛ではありません。
"もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって歩んではいません。キリストが代わりに死んでくださった、そのような人を、あなたの食べ物のことで滅ぼさないでください。"
ローマ人への手紙 14章15節
どんなに神学的な勉強しても、愛がないならうるさいドラです。
神様の国は議論をすることではなくて「義と平和と聖霊による喜び」です。(17)
礼拝スタイル問題、食べ物問題、再臨の時期問題、異言理解の問題、イスラエル理解の問題、答えは、「それで兄弟姉妹が困るなら自分の理解を押し付けない」です。
"肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、あなたの兄弟がつまずくようなことをしないのは良いことです。"
ローマ人への手紙 14章21節
もちろん自分の中で確信を持つ事はオッケーです。むしろ「持っていなさい」と勧められています。
"あなたが持っている信仰は、神の御前で自分の信仰として持っていなさい。自分が良いと認めていることで自分自身をさばかない人は幸いです。"
ローマ人への手紙 14章22節
でも逆に、自分の中で「無理」と思っていることに対して、無理矢理それに蓋をして、疑ってるのに、信じてないのに行動するのは罪です。
"しかし、疑いを抱く人が食べるなら、罪ありとされます。なぜなら、それは信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。"
ローマ人への手紙 14章23節
大事なことはイエス様の愛です。十字架の愛です。不完全で凸凹な僕らを愛し、ゆるし、受け入れてくれました。それ以外のことは幅があります。妨げになるものやつまづきになるものがあるなら、みんなの前ではやめておきましょう。自分の考えは自分のものとしておきましょう。「肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、あなたの兄弟がつまずくようなことをしないのは良いことです。」ハレルヤ!
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