詩篇96篇
「あー、この曲もう飽きたなぁ」ではなく、聖書は「新しい歌を主に歌え」といいます。
音楽って何回か聞くと飽きます。(年齢とともに、特にそう思います)ですが、神様に感謝するネタはなくならないし飽きません。
心開いてよく見てみたら、毎日新しく良いこと、すごいことをしてくれていて、毎日、僕らを赦し、受け入れ、喜んでくれていて、裁かず、救い出してくださっています。
気づかなかったり、当たりまえと思ってスルーしたり、傲慢になって自分が頑張った、と思ってしまうものです。
だからこそ、賛美することは本来の姿に戻してくれます。
"新しい歌を主に歌え。全地よ主に歌え。
主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと御救いの良い知らせを告げよ。
主の栄光を国々の間で語り告げよ。その奇しいみわざをあらゆる民の間で。
まことに主は大いなる方大いに賛美される方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。"
詩篇 96篇1~4節
賛美は目の前に起きているすべての出来事の栄光を神様にお返しすることです。
空気があること、ちょうど良い温度があることも、太陽の光があることも、血液が流れていることも、話せることも、息ができることも。花も、風も、雲も全部、実は神様の力の表れ、栄光の現れ、愛の表れです。昨日食べた一つ一つのメニュー、昨日動いた動作一つ一つ、全部神様からの贈り物です。
栄光は神様のもの、賛美を受けるのはただ神様だけです。それがもともとの姿です。だから、「栄光お返ししなさい」と聖書は言います。
"もろもろの民の諸族よ主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ。
御名の栄光を主に帰せよ。ささげ物を携えて主の大庭に入れ。"
詩篇 96篇7~8節
日本には「お土産文化」があって、誰かと会うときに愛と尊敬を表すためにお土産を持参します。同じように、神様とお会いするために、神様に愛と尊敬を表すために、お土産を持参します。「ささげ物を携えて主の大庭に入れ。」賛美と感謝は神様に近づくための捧げものです。
神様への感謝ネタは毎日新しいです。なぜなら、神様が毎日新しいことをしてくれるからです。
"新しい歌を主に歌え。全地よ主に歌え。"
詩篇 96篇1節
僕らがぼーっとして気がつかなくても、賛美の歌詞を通して教えてくれることもあります。
だから、歌は神様の素晴らしさを知らせ、語ることでもあります
"主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと御救いの良い知らせを告げよ。
主の栄光を国々の間で語り告げよ。その奇しいみわざをあらゆる民の間で。"
詩篇 96篇2~3節
今日も神様がしてくださった一つ一つをよーく見て数えてみましょう。昨日食べたもの、昨日させてもらってたこと、昨日動けたことを一つ一つ思い出してみましょう。全部は神様の栄光、神様の愛、神様の救い、神様の御力です。
今日も世界は賛美で満ちています。やがて、自然界もみんな喜び踊り一緒に歌う日がきます。
"天は喜び地は小躍りし海とそこに満ちているものは鳴りとどろけ。
野とそこにあるものはみな喜び躍れ。そのとき森の木々もみな喜び歌う。主の御前で。"
詩篇 96篇11~12節
今日、心の目が開かれるように求めましょう。主がしてくださった新しく良いことをほめたたえる口を求めましょう。今日も神様は良いお方です。ハレルヤ!
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