2026年7月9日木曜日

使徒11.19-26

 使徒11.19-26


「問題を歓迎する」とか「迫害を歓迎する」というのは言い過ぎかもしれないけど、それでも神様は迫害や問題を用いて僕らを次のステップに導いてくださることがよくあります。


使徒の働きによると、

福音を伝える→迫害される→次の町に散らされる→そこで福音が広がる

というパターンが何度も書かれています。



"さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。

ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。

そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。"

使徒の働き 11章19~21節



迫害によって散らされて、そこで出会った人たちに福音を伝えることを「主の御手が彼らとともにあった」(21)といいます。人の悪による迫害さえも用いられて、大勢の人が信じて主に立ち返りました。

今も、イエス様の働きをすると問題に直面することがあります。迫害かもしれないし、内側の問題かもしれません。でも、それでもそこに「主の御手」があって、神様はそれを使って次のステップへ導き成長させてくださいます。



"神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。"

ローマ人への手紙 8章28節



「すべてのこと」には人からはマイナスに見えることも含まれます。神様はそれさえ良いことのために用いられます。


ヨセフは兄たちから嫌われ、奴隷にされ、言葉の通じない外国に売られてしまいました。人身売買は悲惨な経験です。ところが、それさえも神様は用いられました。ヨセフは後で自分を売った兄たちに言います。「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記50章20節)


パウロも何度も迫害に遭っています。あるときは逮捕されて監禁されました。普通なら「終わった…」と思う場面ですが、パウロは言います。「兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです。」(ピリピ人1章12節)


神様は僕らの思いを超えています。

トラブルを通して神様のご計画は進み、僕らも成長させられます。

イエス様が願っているのは新しいクリスチャンを生み出して一丁あがり、ではありません。イエス様を信じた人があらゆることを通して成長し、弟子となり、次の人のために用いられていくことです。(マタイ28.18-19)


迫害によってエルサレムを追い出された人たちはアンティオキアまで行き、福音を語り、そこで大勢の人が信じて主に立ち返りました。(21)

しかも信じて終わりではなく、彼らは成長し、キリストのことばかり考え、キリストのことを賛美し、キリストのためにばかり活動する人たちになりました。彼らは「キリスト者」と呼ばれるようになります。



(26)

弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。



「キリスト者」とは、「キリストに夢中な人たち」今風に言うなら「キリスト推し」「キリストガチ勢」のような感じです。周りの人から見てそんな感じに見えたようです。彼らは本気でキリストを愛し世界に宣教師を派遣する中心的な教会になっていきます。

この彼らの成長の背景には励ましと教えがありました。新しい信者のためにエルサレムの教会は最初はバルナバを派遣し、彼らを励まし続けます。



"この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。

バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。

彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。"

使徒の働き 11章22~24節



次にバルナバはサウロを連れてきて、新しいクリスチャンたちを1年間教え続けます。彼らはしっかりと成長し「キリスト者」と呼ばれるまでになっていきます。



"それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、

彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。"

使徒の働き 11章25~26節



今日も僕らの周りには問題があり、迫害があるけど、その先には成長があり、さらに僕らがキリストに夢中にさせられ、用いられていく将来があります。迫害の最中にも「主の御手が彼らとともにあった」(21)と同じく、今日もゴタゴタする僕らの上に「主の御手」があります。マイナスに見えることも全部用いられて主のご計画は進みます。今日も祝福への通過点です。神様に委ねつつ、祈りつつ、神様と一緒に通るべきところを通っていきましょう。大丈夫です。ハレルヤ!


0 件のコメント:

コメントを投稿