使徒4.1-31 神様が力を注いでくださる祈り
みんな怖い人、怖い状況ってありますか?
こうなったら嫌だな。こうなったら怖いなー。など。
みんなあると思います。だから、転ばないように、失敗しないようにしようとして、
人間関係に気を遣って、嫌われないように、うまくいくように、って調整すると思います。
それが人間です。
ところ、神様は違います。
何が違うか?神様には恐れとか心配がありません。神様は嫌われないように、転ばないようにする神様ではないです。平安と力と愛しかない、そのような方です。
そして、信じる僕らにもその神様の御霊を与えてくださいます。御霊が与えられると、神さまの心に変えられます。聖書にそれはどんな霊か書いてあります。
2テモテ 1:7
神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。
今日は、御霊に満たされたペテロの説教です。
しかも、自分を殺したいと思っている人たちに囲まれた時の説教です。
僕もメッセージしますけど、みんなが聞こうと思って聞いてくれて、時々うなづいてくれるのはすごく話しやすいです。神学校でもリバーワーシップスクールのクラスでも僕のために大きくうなづいてくれるようにお願いしています。
もしも、聞く人たちが皆僕のことを嫌っていて、なんとか揚げ足をとり、批判し、訴えてやろう、できれば殺してやろう、と思っていたら、怖くて話なんてできません。
そのような状況でのペテロの説教です。
そもそも、なんでここまでペテロが嫌われたのか。
●どうしてペテロはこんなに嫌われたのか?
状況おさらいです。
ペテロとヨハネは3時に神殿に祈りにいくのがいつものルーティンでした。
神殿の前には一人の乞食、物乞いがいたそうです。40年以上ずっと歩けなかった男です。
その人がペテロとヨハネが神殿に入ろうとしてるのを見て、「何か恵んでください」ってお金を求めました。するとペテロは言います。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
すると、その人は立ち上がり、癒された。躍り上がって、神様を賛美しました。
(7-8節)
7 そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
8 躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。
何も悪いことのない、素晴らしい話です。でも、これが当時神殿を仕切っていた指導者たちからは嫌われ憎まれる原因になりました。
自分達よりも権威があり、人を癒す力があり影響力を持つことが気に入りません。
「ペテロさんすごい」「イエス様すごい」ってなりそうな状況です。
ペテロは「この癒しは自分の力ではない」とはっきり宣言します。
3章12節
イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして、私たちが自分の力や敬虔さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
ペテロは「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と命令しました。「キリストの名によって立ち上がりなさい」の意味は「キリストの権威によって、力によって立ち上がりなさい」ということです。これはペテロの力ではなくて、イエス様の権威による癒しです。ペテロはイエス様の権威を信じて命令しました。
聖霊に満たされることは、イエス様に満たされることです。そこには恐れがありません。
彼は人々に言います。
「イエスは旧約聖書に約束されていた救い主、メシアです。」
「だのに、あなたたちの指導者たちが死刑にしました。全ての権威を持っているイエスキリストをあなたがたも、十字架で殺したのです。」
「イエス・キリスト」って言葉は僕らは慣れすぎています。
でもユダヤ人にとっては「メシア」「キリスト」って言葉はすごい重い言葉です。
彼らはずっと「やがてキリストがくる」って聖書を学んで人たちです。指導者たちはみんなそう信じてきました。
「キリスト」は「メシア(油そ注がれた王)」です。
ペテロはストレートに「そのキリストが来ました。それがイエスです。」「全ての権威を持っている王です。」と宣言します。
そのキリストを、あなた方が待ち望んできたキリスト、油注がれた王をあなたたちが十字架につけて殺したのだ、と直球で権力者たちの問題を指摘します。
そのイエス様が復活しました。イエス様は全ての権威を持っているので、死んでも復活する力を持っています。そして、この人が今歩けてるのは完全に復活したイエスの権威です。
それを聞いた指導者たちは怒ります。
特に当時の祭司たちは「復活なんてない」って教えていました。
この神殿で、自分らの教えと違うことを偉そうにメッセージするペテロが気に入らないので、その場で即逮捕です。ペテロは不当に拘束されました。逮捕理由は「復活を宣べ伝えていることに苛立ち」と書いてあります。伝えていることにイライラしたから。気に入らないから逮捕です。
(4章1-2節)
1 ペテロとヨハネが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちが二人のところにやって来た。
2 彼らは、二人が民を教え、イエスを例にあげて死者の中からの復活を宣べ伝えていることに苛立ち、
3 二人に手をかけて捕らえた。そして、翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。
ここまでが、ペテロが嫌われ、周りの人たち、特に権力者たちに嫌われた理由です。
●聖霊に満たされたペテロのメッセージ。
次の日最高議会に引き出されます。これはイエス様をローマに引き渡して十字架につけたメンバーです。またペテロにも同じようにやりかねない人たちです。彼らに嫌われたら殺される、そいういう人たちに呼び出されました。でもペテロは聖霊に満たされて落ち着いています。
(8)
そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。
ペテロは本来ビビりでイエス様が逮捕されただけで逃げた人のはずです。その後もカギをかけて隠れていたはずです。そんな彼が聖霊に満たされて宣言します。
(10)
この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。
(12)
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
指導者たちは頑張って、聖書学んで、律法に従って、儀式を守ってるから救われる、って思っていました。学びをして、良い行いを守れば救われる、って思ってたし教えていました。ペテロはそれを全否定します。「あなたがた、そのままじゃ救われない、権力を持ってても、律法を学んでいても、祭司をやってても十分じゃない」と言っているのと同じです。「この方以外には、だれによっても救いはありません」
彼らにとっては自分達のやってきたことを否定されたのと同じです。
みんな「自分は大丈夫」て思いたいです。僕らも認められたいものです。いろんな宗教に頼ります。お金に頼ります。いい人って言われようと努力します。そしてお葬式のとき「みんな、天国で会えるね。」って言います。「いい人だったね」って言いたいし言われたいです。「安らかに眠ってください」って言いたいし言われたいものです。でもペテロは言います。「この方以外には、だれによっても救いはありません」(12)他の方法では無理です。どんな宗教でも無理です。どんな修行しても無理です。イエス様以外には救いの道はありません。
※質問です。
「キリスト教って狭くない?」
と言われたらなんて答えますか?
みなさんどう思いますか?
もっと寛容は方がいい。他の宗教も認めましょう。どの道でも救われます、って言われそうだし、みんな天国だよ、って言ってあげたい気持ちもあります。
同じ質問をイエス様に聞いたらなんて答えてくれるでしょう?イエス様の答えです。
(マタイ7:13)
狭い門からはいりなさい。(…中略…)いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
(ヨハネ14:6)
「わたしが道であり、真理であり、いのちです。」
「わたしを通してでなければ、誰一人父のもとへ来ることはできません。」
狭いのは事実です。聖霊に満たされたペテロのメッセージはイエス様のメッセージそのものです。
永遠のいのちへの道は狭いです。その道は、イエス様を受け入れ、イエス様を信じ、罪が赦されること以外にはありません。
それを聞いた指導者たちは怒り、どうやったらこのペテロを黙らせることができるか、と考えました。
そこで考えた方法は、なんと「脅し」です。脅しとは、恐怖を与えて黙らせることです。人間は怖がらせれば、黙ります。もともと、十字架の処刑は見せしめでもあり脅しでもあります。脅しは精神的な暴力です。
(17-18)
17 しかし、これ以上民の間に広まらないように、今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを脅しておこう。」
18 そこで、彼らは二人を呼んで、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならないと命じた。
どうやって脅したか書いてません。
「これ以上説教したら、また逮捕する。」「拷問にかける。」「お前の家族に危害を加える」「少し前、お前のところのイエスどうなったか知ってるよな。次はお前だ」とか想像はできます。
普通だったら怖くて黙り、落ち込む場面です。でもペテロが返した言葉はこちらです。
(19)
しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。
この返答が気に入らない指導者たちは、さらに恐怖を与えようと脅したようです。
(21)
そこで彼らは、二人をさらに脅したうえで釈放した。
なぜ、こんなにペテロが落ち着いているのか。恐れがないのか。
これは御霊によります。御霊の実は平安です。ペテロがすごいのではないです。
そして僕らにも与えられます。僕らにも与えられる聖霊です。聖霊に満たされると、恐れが消えます。
僕らに与えられているのはイエス様の霊です。
(2テモテ 1:7)
神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。
怖い時、不安とき、求めましょう。「神様、御霊をください。平安をください、愛をください。
神様で満たしてください。」と。
●イエス様に祝福される迫害
今も昔もこの世はイエス様に敵対している世界です。
この世界はイエス様に敵対しています。
イエス様に従いイエス様の願いの通りに生きようとすると必ずぶつかります。
(ペテロの手紙 第一 2章21節)
"このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。"
「自分の召しって何ですか?」って聞く人います。自分はどんな役割に召されてますか?神学校にいくべきですか、どの仕事につくべきですか、どの道に導かれていますか?と。
その中の一つは「苦しむこと。」です。「このためにこそ、あなたがたは召されました。」とあります。
しかも、迫害される人は「イエス様に従う人限定」なので、祝福された人です。
この世に合わせていると迫害されません。
未信者の家族から、会社の同僚から、友達から悪く言われたり圧力をかけられたり、そういう悲しい場面はあると思います。
聖書は「敬虔に生きようとする人は迫害を受けます」と言っています。そして「その人は祝福されている」とも言っています。
(マタイ5章11-12節)
11,わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
12,喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。
ペテロの時代、指導者たちから嫌われ、脅されました。彼らは福音が広がるのを止めようとしました。
でも、迫害があるほどに逆に福音は広がります。
これが初代教会の特徴。迫害されるほど広がっているのがわかります。普通なら怖くて黙るけど、でも福音は迫害によって広がっていきます。
(4章4節)
しかし、話を聞いた人々のうち大勢が信じ、男の数が五千人ほどになった。
今もそうです。今、リバイバルが起きているのは苦しみの中にるイランだそうです。
イスラム教指導者に逆らうことは許されないし、イエス様を信じるなら命を狙われます。だから、隣の国に旅行に行って洗礼を受ける人がたくさんいるそうです。
昨年、そこで宣教している方の証やビデオを見せてもらいました
イエス様を信じることは、イランではいのちがけです。だのに、たくさんの人たちがイエス様によって悔い改め新しいいのちに導かれています。
迫害されている人たちにイエス様は言われます。
(マタイ5:12)
喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。
●迫害の中の教会の祈り
このペテロの戦いは彼一人の戦いではありませんでした。
教会が一緒に祈ってくれていました。
昨日のシードワーシップのメッセージをしてくれた田中満矢先生が言ってました。
「今、教会の皆さんが僕のことを祈ってくれてます。両親も、今この瞬間祈ってくれています」
戦いは、キリストと一緒です。キリストと一緒なのはその体である教会と一緒です。
ペテロは釈放されるとすぐに教会に戻りました。23節には「さて、釈放された二人は仲間のところに行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。」とあります。
そして、教会のすることは祈りです。
(24節)
これを聞いた人々は心を一つにして、神に向かって声をあげた。
「指導者に手紙を書こう」ではないし議論でもありません。「心を一つにして、神に向かって声をあげた。」です。集まってデモしました、でもありません。ひどい脅しを受けたことをSNSで投稿した、拡散した、とか書いてないです。彼らは抗議でなく、告発したのでなく祈りました。
集まって、まず真っ先に祈りました。敵対された時の正しい反応は神様への祈りです。
僕らは「どうやってやり返そう?」とか、「どうやって止めよう?」とか先に考えます。
でも彼らは祈ります。
(24)
これを聞いた人々は心を一つにして、神に向かって声をあげた。「主よ。あなたは天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方です。
力ある祈りの特徴は、神様に心を向けることです。
神様の偉大さに心をむけ、神様の大きさを宣言する祈りです。
「主よ、あなたは神です。」「あなたが宇宙全部を造りました」
祈る時、問題が大きく見えて、飲み込まれてること多くて、神様が遠く感じることがあります。
無力感とか絶望感に包まれることがあります。
ところが御霊は僕らの心の目を開いてくださいます。
「神がどれほど偉大なお方なのか」に目を向けさせてくれます。
いつも祝祷で祈ってます。
(エペソ1章17節-18節)
神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、
また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。
聖霊は僕らの心の目を神様の偉大さに向けてくれます。問題の大きさ、苦しさ、嫌なこと、悪い想像に僕らは引っ張られます。でも、御霊は、神様がどれほど偉大な方なのかを思わせてくれます。
おすすめは「祈らせてください」と祈ることです。
祈りたいけど、問題に圧倒されて、不安に圧倒されて、苦しい、そんな時、「祈れません。祈らせてください」って祈り、僕はかなり好きです。理由はあります。疲れすぎていて祈れない、落ち込みすぎて祈れない。もちろんそんな時もあります。
でも、祈りは御霊が導いてくださいます。
(ローマの手紙8章26節)
御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。
御霊が一緒に祈り、御霊と一緒に祈らせてもらうときに、神様の偉大さに僕らは目が開かれます。
最近シードワーシップで作った曲、すごくいいと思います。このみことばを曲にしたものです。
※シードの曲紹介
♪どう祈っていいのかわからないような時に
あなたが私に代わりこの思いとりなす
弟子たちは、迫害を受けてます。脅されています。権力者たちに目をつけられています。
でも、御霊が祈らせてくれました。御霊が祈らせてくださいます。
まず祈りでこう始めた。
「主よ、あなたは神です。天と地、そしてその中のすべてを造られました。」
僕らの問題や苦しみを神様はもう全部知っています
イエス様を証する人たちも一緒に攻撃されることは、聖書が何度も預言していることです。弟子たちは御霊によって、聖書のことばを思い出して、祈ってます。旧約聖書の詩篇をダビデの詩篇を思い出して祈ります。
(25-26)
25 あなたは聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ、異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの国民はむなしいことを企むのか。
26 地の王たちは立ち構え、君主たちは相ともに集まるのか、主と、主に油注がれた者に対して。』
「本当にその通りでした。詩篇に書いてある通りでした」神様は1000年前から主に油注がれたイエス様が迫害され、そして、イエス様に従う人たちも敵対されることを言っていました。
神様にとって予定通りでした。
今日起こってる問題、迫害、苦しみは神様のご計画の通りです。
神様が許してないことは何一つ起こらない。
僕らの問題も、苦しみも、もし神様がそれを許したなら、そこには良い目的と計画があります。
神様の手の中にあって、神様を愛して、神様に委ねてるなら、起こることは全部、神様が許したことです。
御霊の祈りはお願い事が先ではなくて、神様への賛美、そして、神さあのみことばが先です。
僕らは大体逆になって、お願いから入ります。
神様がどれだけ偉大か、
どれだけ愛してくれてるか、
そして、神様が聖書でなんておっしゃってるか。
御霊はそのように祈らせてくれます。
神様の力と能力の前で見るなら、その問題はそんな大きくないし、予定通り、計画通りのことです。教会は御霊によって祈ります。
(28)
あなたの御手とご計画によって、起こるように前もって定められていたことすべてを行いました。
僕らなら、すぐに「主よ、敵を倒してください」「あいつら消してください、迫害なくしてください」
って言いそうです。でも、彼らが願ったのは逆です。もっと大胆に恐れなく語らせてください、です。
(29)
主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。
楽になること”じゃなくて御霊に満たされて、神様の願い通りにしていきたい、ってことです。
「守ってください」より、「神様の願い通り語れるようにしてください」。
彼らは大胆さを求めました。御霊に満たされるともっと神様のことを話したい、伝えたい、と思います。「大胆に御言葉を語らせてください」です。
そもそも大胆に語ったから逮捕されました。なのに祈りが「主よ、もっと大胆さください」です。
僕らも命は狙われないけど、風当たりはいつも強いものです。
会社でも家でもそうかもしれません。
僕も会社員時代は大変なことがありました。
でも、やっぱりクビになってもいいから従いたい、って神様が思わせてくれました。
ある時は「占いの曲の作曲」って仕事がきました。
御霊がやりたくない、って思ってるのは明らか。神様が嫌われるリストに「占い」が入ってるのを知っています。
だから、やりたくない、できない。って社長に言いました。
社長は、こんなの、ただ仕事でしょう。そんな霊的なことではない、って言いました。
それでも、僕はできない、やりたくない、ってお断りしました。
クビになることはなかったけど、神様に喜ばれる感覚、霊的な喜びがありました。状況は悪いんだけど、心の奥では安心と喜びの感覚があったし、他の仕事はすごく祝福されました。
迫害されていた教会は、風当たりがあっても、イエス様に従わせてください、って祈りました。
癒しの祈りも奇跡も当時の権力者たちによって禁止されたのに、「こういう働きを止めないでください」
「あなたの素晴らしい御業を続けてください」「しるしを続けてください」と祈ります。
(30節)
また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください。
(31節)
彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。
「祈り終えた時、彼らが集まっていた場所が揺れ動いた。」神様が確かにここにいてくださる印です。
祈ったら場所が揺れました。そして「彼らはみな聖霊に満たされた」とあります。
再び、新しく聖霊に満たされました。そして「大胆に神のみことばを語り続けた。」
やめろって言われたのに続けました。しかも、大胆に、です。
(33節)
使徒たちは、主イエスの復活を大きな力を持って証しし、大きな恵が彼ら全員の上にあった。
●私たちへの適用
神様の願いは僕らの中にあります。
ペテロと同じ御霊が与えられています。
あの揺れ動いた初代の教会と同じ御霊が与えられています。
神様は今日も全ての人に福音を語り、神様の栄光を表そうとしています。
どんな迫害があっても、この世から圧力があっても、聖霊に満たされると神様を伝えたくなります。
目の前の人が怖いなあ、と思うより、神様の大きさの方がすごいな、っと思います。
求めましょう。
「主イエスの復活を大きな力を持って証しし、大きな恵が彼ら全員の上にあった。」そのような力が僕らにも与えられます。
神様、今日も聖霊に満たしてください。心の目がはっきりと見えるようになって、神様の力がどんなに大きいか教えてください。
僕らにも、神様の言葉を大胆に語らせてください。癒しや不思議なことや、神様の力が表されることならなんでもさせてください。
「能力がある人」「強い人」ではなく、聖霊を求め、聖霊に心を明け渡し、心が主と一つになることです。その人に神様の力が現れます。そう祈りましょう。御霊を求めましょう。
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