光も空気も水も神様からのものです。今生きていること、必要な食べ物があること、暖房があることもです。良いものは全部神様から与えられている恵みです。読み書きができること、話せること、少しばかりの計算ができることなど、神様は僕らを育てる大人を通して教えてくださったものです。
同じように、イスラエルも彼らから出たものは何もありません。先祖ヤコブが神様から「あなたを祝福する」と言われ、その通りに祝福された民族です。7節に「ベテルでは神に出会い、神はそこで彼に語りかけた。」とあります。そこで語られた祝福は素晴らしいものでした。
(創世記28.13-15)
「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
だのに、その子孫であるイスラエルは自分の力で何かを得たかのように高ぶります。
(8)
エフライム(イスラエルの部族の名。イスラエルの代名詞として)は言った。「確かに私は富んでいる。私には力がある。私のすべての勤労の実があれば、私のうちに、罪となる不義は見つからない。」
もともと先祖ヤコブは自分の力を頼り、兄エサウを押しのけて長男の権利を奪ったり、盲目になった父イサクをダマして長男の祝福を奪うような人でした。そんな彼が神様と出会い、神様と格闘し、もものつがいを外され、弱くされ、それでも神様に泣きながら「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」(創世記32.26)と懇願します。自分の知恵と力に頼る彼が変えられ、神様に泣いてお願いするような人にされました。そのように「あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。」と聖書は言います。(6節)
イスラエル人たちはエジプトで奴隷にされ、何もなかった経験があります。何も持たない彼らに神様は天からの食べ物を与え、天幕に住ませてくださいました。ここまで来れたのは全部神様の恵みです。だのに彼らは自分の悪知恵に頼ります。「商人は手に欺きの秤を持ち、虐げることを好む。」(7節)神様はエジプトから出てきた時のことを思い出させようとします。
(9)
「しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、あなたの神、主である。例祭の日のように、再びあなたを天幕に住まわせる。
イスラエル人たちは富み、立派な家に住んで神を忘れ、偶像を作り拝みます。富んで神を忘れるくらいなら、何も持たずに簡単な天幕に住んで神様に感謝する方が良かったです。高ぶるエフライム(イスラエル)に神様は怒ります。
(14)
エフライムは主の激しい怒りを引き起こした。彼の主は、その血の責任を彼の上に下し、彼のそしりに報いを返される。
イスラエルは何もない民族でした。与えられたものは全部神様からの恵みでした。威張れる理由などありません。感謝しない理由などありません。今まで来れたは100パーセント神様の恵みです。僕らも同じく、自分で手に入れたものなど一つもありません。もう一度神様に戻りましょう。全てを感謝しましょう。何もなかった時のことを思い出しましょう。今あるものは全部神様からのプレゼントです。感謝しかありません。ハレルヤ!
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