僕らの人間関係はもろいものです。自分にいいことをしてくれると、素晴らしい!と相手を持ち上げ、気に入らないと関係を切ろうとします。パウロが歩けない人を癒すと人々は「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになった」と言って賛美しました。(11)ところが、パウロについて悪いウワサ話を聞くと、同じ人々が今度はパウロを殺そうとします。
(19)
ところが、アンティオキアとイコニオンからユダヤ人たちがやって来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにした。彼らはパウロが死んだものと思って、町の外に引きずり出した。
人の心は目に見える状況や人から聞くウワサ話によって変化します。神だ、と言ったり、死刑だ、と言ったりです。
人の話は100パーセント真実ではありません。しかも、僕らはいつもその真実でない人の話に振り回されてしまっています。僕らがまず求めるべきは真実な神様のみことばです。神様は信頼できます。人ではありません。パウロはどんな時にも神様にだけ信頼するように弟子たちに勧めています。
(22)
弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と語った。
苦しみはあります。この世界は罪があります。でも、それは本来の姿ではありません。イエス様はやがて完全な神様の国を実現させてくださいます。そこには真実だけがあり苦しみがありません。僕らは神様の国に入ることが決定済みです。今の苦しみは通過点です。忍耐とはやせ我慢ではなく、希望を持って生きることです。神様の国は完成します。信仰にしっかりとどまりましょう。ハレルヤ!
(ローマ 8:18)
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
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