2022年12月27日火曜日

使徒15.12-21

 僕らが信じてきた教会の伝統や聖書の解釈が正しいとは限りません。真面目なイスラエル人たちは、何千年も「イスラエル人だけが選ばれた人たち」「異邦人(イスラエル人以外)は選ばれてはいない」と信じていたし、そのような先入観をもって聖書を読んでいました。でも、それは違いました。自分の思い込みと違う時に人々は驚き戸惑います。その時に2つの大事なことがあります。①神様がしてくださった事実や体験を分かち合うこと。②その出来事を聖書がどのように言っているかもう一度確認することです。初代教会のリーダーたちはこの2つを確認しました。


①神様がしてくださった事実や体験を分かち合うこと。

まず、神様が実際に異邦人たちの中でしてくださった出来事を教会のみんなに丁寧に報告して共有しました。

(12-14)

すると、全会衆は静かになった。そして、バルナバとパウロが、神が彼らを通して異邦人の間で行われたしるしと不思議について話すのに、耳を傾けた。二人が話し終えると、ヤコブが応じて言った。「兄弟たち、私の言うことを聞いてください。神が初めに、どのように異邦人を顧みて、彼らの中から御名のために民をお召しになったかについては、シメオン(ペテロ)が説明しました。


その出来事を聖書がどのように言っているかもう一度確認すること

次に、この出来事は聖書が預言してきたことと合ってることを確認しました。


(15-18)

預言者たちのことばもこれと一致していて、次のように書かれています。

『その後、わたしは倒れているダビデの仮庵を再び建て直す。その廃墟を建て直し、それを堅く立てる。

それは、人々のうちの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるようになるためだ。

──昔から知らされていたこと、それを行う主のことば。』


この時代、聖書に書かれている預言がリアルに実現していました。それまでの常識とは違ったので人々は丁寧な話し合いと聖書のおさらいが必要でした。僕らも教会で長く「これが当たり前」と思っていることが聖書の教えと合っているかどうか、確認する必要があります。

今まで思っていた教会の伝統が本当に聖書の教えとは限りません。世界が激変し終末を迎えるにあたって、もう一度先入観を脇において丁寧に聖書を学ぶ必要があります。

この当時、異邦人たちを兄弟姉妹として迎えるのは革命的なことでした。でも、混乱を避けるためにもっと大切なのは愛し配慮することです異邦人たちも伝統的なユダヤ人に対して配慮すべきことがありました。それは今まで律法や伝統を重んじてきた人たちをがっかりさせないため、彼らが大事にしているものを否定せずに、それを尊重することです


(20-21)

ただ、偶像に供えて汚れたものと、淫らな行いと、絞め殺したものと、血とを避けるように、彼らに書き送るべきです

モーセの律法は、昔から町ごとに宣べ伝える者たちがいて、安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」


ユダヤ人たちは彼らは食べ物の規定を大事に守っていました。だから、ユダヤ人たちの前では異邦人たちもそれを尊重しなさい、という申し合わせです。何を食べても実は自由ですが、「あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。」ということです(1コリント8.9)僕「食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。」というのが原則です。(ローマ14.3)


僕らの思い込みは正しいとは限りません。僕らは聖書の預言に時々目が開かれて驚きます。今までの伝統や教会のあり方が変えられることもあります。それでも、そこで最も大切なのは理解の違う相手を尊重し愛することです


(ローマ 14:15

もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。


僕らの理解が人の言い伝えではなく、神様のみことばによってますます心の目が開かれて行きますように。そしてみことばを理解することが人を裁くのではなく、ますます愛し尊重することに繋がりますように。

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