クラスでも家族でも教会でもコワイ権力者が現れると、みんな「その人にどう思われるか?」を意識して生活してしまいます。その人に気に入られることが安全、と思うからです。同じように「神様にどう思われるか?」をいつも意識している人は安全だし祝福されます。主に喜ばれることは良いことしかありません。「人に従うより、神に従うべきです。」(使徒5.29)アサ王はそのようにして祝福されました。
(2-6)
アサは、自分の神、主の目にかなう良いことを行った。彼は異教の祭壇と高き所を取り除き、石の柱を砕き、アシェラ像を切り倒し、
ユダの人々に命じて、彼らの父祖の神、主を求めさせ、その律法と命令を行わせた。
彼はユダのすべての町から高き所と香の台を取り除いた。こうして、王国は彼のもとに平穏であった。
彼はユダに防備の町々を築いた。主が彼に安息を与えられたので、当時数年の間、国は平穏を保ち、彼と戦う者はいなかった。
アサは国中からあらゆる偶像を破壊し、人々に神様の律法を教え守らせました。そのように彼は神様に喜ばれる選択をし続けました。アサが神様に喜ばれる政策をした結果「王国は彼のもとに平穏であった。」「国は平穏を保ち、彼と戦う者はいなかった。」とあります。神様の目に喜ばれることは、全てのことの平和と愛につながります。
普段から神様に祈り求めている人はトラブルが起こった時にも同じように神様に祈り求めることができます。
アサは突然、自分よりも圧倒的に強い敵国に脅迫されました。ですが、いつもと同じようにに神様に求め神様を信頼し神様に喜ばれる選択をして戦いの準備をしました。神様だけが世界を支配しておられる王だからです。そしてアサは守られました。
(9-12)
さて、クシュ人ゼラフが、彼らに向かって百万の軍勢と三百台の戦車を率いて出陣し、マレシャにまで攻めて来た。(…中略…)アサは自分の神、主を呼び求めて言った。「主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。私たちの神、主よ、私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に向かって来ました。主よ、あなたは私たちの神です。人間が、あなたに力を行使することのないようにしてください。」主はアサとユダの前でクシュ人を打たれたので、クシュ人は逃げ去った。
僕らの生活はまず神様にどう思われるか?です。神様こそ王であり支配者です。そして今日も生きて働き、世界をご支配なさっています。リアルに神様は働いておられます。この方こそ王です。僕らが今日も主の目に喜ばれる選択をし続けますように!
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