僕らが神様を愛したのでなく、神様が僕らを愛し、待っていてくださいます。(ルカ15.20、1ヨハネ4.10など)「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」と聖書は言います。(ヤコブ5.8)神様は僕らと一緒にいたいと願っておられます。いつ戻ってくるか待っておられるかのようです
(2)
あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自分を示してくださいます。
(3-4)
長年の間、イスラエルにはまことの神もなく、教師となる祭司もなく、律法もありませんでした。
しかし、苦しみの中で、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、この方を慕い求めたところ、主は彼らにご自分を示してくださいました。
神様を求め、神様の言葉の通りに生きるのが人間の本来の姿です。神様から離れてこの世界に対処しようとしても、対処できる範囲を超えています。そこには混乱と争いがあります。平安とは神様と一緒にいることです。イスラエルは神様から離れた時から混乱や争いに追われるようになりました。反対に、神様を求めた時には安息が与えられています。
(5-6)
この時期には、出て行く者にも、入って来る者にも平安がありませんでした。国々に住むすべての人々に数々の大きな騒乱があったからです。そして、国は国に、町は町に逆らい、彼らはともに打ち砕かれてしまいました。神があらゆる苦しみをもって、彼らをかき乱されたからです。
イスラエル人たちは心を尽くして神様を求める契約をしました。その決心は喜びがあり、平安がありました。
(15)
ユダの人々はみなその誓いを喜んだ。それは、彼らが心のすべてをもって
誓いを立て、ただ一筋に主を慕い求め、そして主がご自分を彼らに示されたからである。主は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。
僕らはもともと神様と一緒に生きるように作られています。神様と一緒にいるのが本来の姿です。平安を失う時、もう一度神様の所に戻りましょう。周りの状況も自分の心さえも自分でコントロールできるようなものではありません。神様のそばにいることが僕らにとって一番の安心、そして、喜びです。神様は今日も待っていてくださいます。戻りましょう。それが安全です。
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